第1話 殺害と約束

 まだ、空の色は青色を残していた。

 見慣れた学校からの帰り道。

 なにが原因だったのか、少年にはわからなかった。

 ただ、学校が鐘とともに終わりをつげ、友達とも別れ、家へ着く。

 そんな毎日の繰り返しは、そろそろ終わりを告げる頃合いだ、とちょっと寂しさを抱いていた。

 でもこれからも、勉強や友達の悩み相談や、お喋りをして結局、楽しみながら暮らす普通の日。

 心配事は、古びた商店街を歩きながら、茶色い髪にアホ毛を二本生やした少年は、兄のことを思い浮かべる。

「お兄ちゃん、家でお母さんとお父さんとなにやってるかな」

 家族である三人の姿を思い浮かべて、少年はうきうきとした気分を隠さずに笑みを口元に浮かべた。

 学校へは、住宅街の横にある商店街を通る。

 大陸の中央にしては珍しく、まだビル街とは縁がなく、のほほんとした時代に取り残された場所は、いつもであれば、物静かな場所だった。

「あれ?」

 だが、今日は何かが違う。

 少年は、異質なにおいを感じ取った。

「ん? なんだろう」

 商店街の中央へ近づくにつれて、そのにおいは嫌悪感を誘った。

 人だかりができているのに気づいて、少年は首を傾げた。

 そして、悲鳴にも似た声が響く。

「ひ、人殺しっ!」

「に、逃げろ!」

 物騒な単語は緊迫した雰囲気をたたえていた。

 だから、テレビの撮影とか、そういう平和的ではないことが一発でわかってしまった。

「ふぉ、フォークくん!」

「八百屋のおじさんっ!」

 幼い頃から、母親とよく買い物をしていた仲の良い人に出会って、少年――フォークは目を丸くする。

 見慣れた顔を見てほっとするのもつかの間、ひげの濃いおじさんは顔色を青く変えていた。

「どうしたの、ひ、人殺しとか」

「見るんじゃない!」

 八百屋のおじさんが怒鳴る声も虚しく、フォークは人だかりが蜘蛛の子が散っていくように、道が開かれていくのを見た。

 赤い池が、彼らの中央から見えた。

 遠目だから、まだはっきりとはわからないが、中央に人が折り重なって倒れていた。

「異国の軍人が、急に暴れたんだ!」

 真っ青になったおじさんの言葉を聞き流し、フォークは自然と、冷めた心で歩を進める。

「行くんじゃない!」

 おじさんに強く手を握られても、それを跳ね除けて少年は足を進めた。

 見慣れた姿のような気がしたのだ。

 平穏な日常の象徴だった気がしたのだ。

 だから、行かなければならない。

 まるで人が道を作るようにいなくなった現場で、血溜まりに倒れる二人の、よく見知った姿に。

「――え?」

 茶髪のスーツ姿の男性と、庇うようにして倒れた茶髪の女性。

 それはいつも家に帰れば待っている、両親の姿に酷似していた。

「フォークっ!」

 親しいおじさんの取り乱した姿が答え合わせとなった。

 どんな理由かはわからないが。

 両親が、軍人に、殺された。

 コロサレタ。

 ふと、兄の顔が頭に浮かんだ。

 ここにはいないみたい。

 おじさんの顔を見ると、心配そうにフォークの姿に、手を伸ばした。

 誰を、心配しているのだろうか。

 そうだ、お兄ちゃんは無事だろうかと、両親の動かない様子に思いを馳せる。

 まだ仕事を探しているはずだし、料理当番だから家で待っているはずだ。

 そこまで思考が回った時には、すでにフォークは八百屋のおじさんの制止の声も聞かずに走り出していた。

 

 

 

 普段なら息をきるような速さで、フォークは住宅街へ駆け込んだ。

 まるで今まで隠れていた機能に、火がついたように人を追い抜いて、家の前に着く。

「お兄ちゃん」

 開かれきった玄関から、鉄臭いにおいが鼻腔をついた。

 そして、眼下に広がる朱色の泉と、そこに埋もれるように倒れた、茶髪の見慣れた兄の姿があった。

「お兄ちゃん……?」

 声はしっかりと出ていた。

 でも、それに応える声は返ってこない。

「……お兄ちゃんっ!」

 通り過ぎる人々の耳に、悲痛な声が届く。

 フォークは血に濡れるのも構わず、兄として生きていた青年の身体を抱き上げる。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん……ツキ、お兄ちゃん」

 壊れた人形のように、フォーク・キルストゥは兄の名を呼ぶ。

 温もりを失った兄の体に、それは無意味であると知っていても、認めたくなかった。

「ツキ、お兄ちゃんっ!」

 声をいくら荒げても、応える言葉を失った青年からはなにも反応はなく。

 ぺたん、と膝から力が抜けたフォークは、目を見開いてわなわなと口を震わせていた。

 かすかに吐息が漏れる。

 両親と兄。

 軍人が殺した。

 その事実が、頭の中をぐるぐる回り、フォークの思考をいっぱいにする。

 兄の胸に穴が空いており、そして両親を殺したのは軍人だという確信を持ってしまった。

「……の」

 目頭が熱くなり、心の底から、形容しがたい怒りが形をもってフォークの悲しみを食っていく。

 それはまるで、餌を求めていた猛獣が、それを見つけて喜び勇み、飛びつくように。

 頬を伝う涙とともに、フォークはふらりと立ち上がった。

 冷静であれば。

 通常であれば、治安維持の役割をもち、警察相応である軍へ連絡していただろう。

 誰がどうみても殺人事件であることを、理解さえしていれば。

 異国の軍人ということも、よくよく思えばわかったことだった。

 エルニーニャに住んでいた理由は、安全だからということを、親は知っていた。

 だが、少年は、悲しみと怒りに染められた少年にとって、その事実はもう必要なかった。

 フォークは空ろな瞳で、兄をゆっくり床に寝かせる。

「ごめんね、お兄ちゃん」

 もう見れない快活な笑顔に唇を噛みしめながら、台所へ向かう。

 よく手入れされた、包丁を自然と抜き出していた。

 ――誰が悪いか。

 軍が強い社会だ。

 軍が悪いに決まっている。

 軍人は、一般人と異なるとはいっても、若者がメインであるこの国では学生服に似た制服だった。

 だから、一般人と区別がつきづらい。

 ならどうする?

 怒りのアクセルが踏まれた思考は徐々に、エスカレートしていく。

 誰も止めなかった。

 それが一番、悪いことだ。

 少年の思考は、冷静とはかけ離れた場所にあった。

 だから気付かない。

 異国の軍人が成したことだという事実に。

 けれども、少年は構わないというふうだった。

「皆が悪い」

 フォークの土色の瞳は空虚な怒りと、ただ断罪を望んでいた。

 お母さんは怒ると怖いけど、とても優しく芯が強い自慢のお母さんだった。

 お父さんはちょっと情けないけど、服のセンスがよくて、デザイナーとしてはすごく活躍していた。

 忙しかっただろうに、いつも家に帰ってきては、お母さんの料理を褒めていた。

 お兄ちゃんも、可愛がってくれた。

 変な置物を好んでいたり、賭け事が好きでちょっと自慢できないところもあったけれど、好きだった。

 だから。

 皆を取り上げた軍人が許せない。

 家族を殺した、見殺しにした皆が許せない。

「ぼくが、なんとかしなきゃ」

 包丁を一振りする。

 びゅんっと、普段のフォークなら出せないほどの風切音が鳴った。

 これで人を殺せるだろうか。

 でもやらなくちゃ。

 首を狙えばいい。

 必ず、殺せる。

 いや、殺さないといけない。

 でなければ、どうして両親と兄が浮かばれるだろうか。

 殺さなきゃ。

 殺してやる。

 ぼくが、やらなくちゃならない。

 暗示のように繰り返す思考の中、研ぎ澄まされていくのは、殺意の中の狂気。

 二、三回振るうと、普段はあまり握らない包丁でも手になじんでいた。

 まるで、母親がそうしろというように。

「――殺してやる」

 平穏な日常を望んだ少年は、両親と兄の突然な死によって、ともに埋葬され。

 異常に膨らんだ殺意による狂気が、顔をのぞかせた。

 

 

 

 家を出れば、追いかけてきたのか、八百屋の見知ったおじさんが青い顔をして立っていた。

「フォーク君、軍」

 軍という単語が出た瞬間、その首を掻っ切った。

 フォークの瞳は相変わらず虚ろだった。

 倒れた巨体の向こうに、幾人かの人の姿が見えた。

 みな、幸せそうで。

 みな、仲がよさそうで。

 フォークには失われた「幸せ」を持っているようで。

 ぎりり、と。

 怒りが腹の底からこみ上げてきていた。

 だから、フォークは遠慮することなく、駆け出した。

 金髪の少女の首を切り裂いた。

 少年のほうは、少女が邪魔で切れなかった。

 だから次に、その背後にいた青年の首を切った。

 血しぶきが、吐き気をもよおすにおいに、顔をしかめる。

 けれども、手は、足は、そして心を占める激しい怒気は止まらない。

 次の獲物を狙うハイエナのように、弱者ではなく強者さえ弱みを見れば切り裂く。

 それは悲劇だった。

 ただそこにいる、それだけでフォークに殺される人々も。

 そして、無慈悲にも人を殺さざるを得なくなった、フォーク自身にとっても。

 血しぶきは止まない。

 フォークの通り道には、血の絨毯が敷かれていった。

 望まずとも、人を確実にかつ簡易に殺すには、無防備な首を狙うしかなかった。

「あ、あの少年です」

 怯え切った声のほうを見れば、乾いた銃声が響く。

 顔をかすめたそれに、普通であればフォークは恐れおののいただろう。

 だが、皆が、家族を殺した。

 その考えが生み出した怒涛の殺意が少年を衝動に駆らせる。

 人を殺すこと。

 それに何の感慨も持たなくなってしまった少年は、ただただ、自身がどうなろうとも構わずに。

 人を殺すこと。

 そのためだけに、幾多もの生命を無へと帰す。

 それが両親と兄への弔いのように。

「動くな!」

 無意味な制止の声を発した軍人の少年の懐へもぐりこむ。

 軍人は刹那、対応が後手に回った。

 普通の少年とは思えないフォークの動きは、彼を死へ送るには十分の時間を与えられていた。

「はっ!」

 短い掛け声とともに、無防備なフォークの背中へ銃声が撃ち込まれる。

 それを死んだ軍人で何発かかわしながらも、ずきずきと小さな傷がフォークに与えられていた。

 死ぬ――?

 そう考えたとき、心の中のなにかが壊れた。

 フォークは死体となった軍人をおもいっきり突き飛ばすと、切れ味の落ちた包丁を捨て、走り出していた。

 殺さなきゃ。

 殺されちゃう。

 嫌だ。

 死にたくない。

 ぱんぱんっと、乾いた音が響き渡る。

 フォークは、手足に痛みを感じながらも、足を止めなかった。

 もう、後戻りはできない。

 なぜか、水をかけられたように怒りが引いていく。

 殺意が萎んでいく。

「死にたく、ない」

 響く銃声は、フォークめがけて繰り返される。

 それは、死を呼ぶ水のごとく、フォークの体力をどんどん奪っていく。

 このまま、死にたくない。

 なにもなさないまま、死にたくない!

 その時、木陰から、声がした。

「フォーク・キルストゥくん」

 フードを被った異質な人。

 それだけなら、無視していたに違いない。

 手には、兄が大事にしていた、置物が、あったから。

 ツキの笑顔が蘇る。

『こいつは、きっといいことがあるお守りなんだ。小さいころに、祭りの屋台でもらった変な置物だけど、捨てたくはないんだよなぁ』

 大事そうにして、幼いフォークには触らせてもらえなかったもの。

 それが、呼んだ気がして。

 学校の行事で一度だけ行ったことのある森、その奥に消えていく見知らぬだれかを追いかけて、フォークは駆け出していた。

 

 

 

 血が失われて、視界が薄暗くなっていた。

 フォークはふらついた足取りで、茂みの中を歩いていく。

 雰囲気が、異質でどうにかしないといけないような空気が、少年を導いていく。

 そして、坂道へ入る。

 どうしてか、自分の足音以外の音が聞こえない。

 それがいいかどうかはわからないけれども。

 フォークは、丘の上、フード姿の誰かの元へ、走って行っていた。

「慌てなくても、逃げないよ」

 フード姿の、優男だった。

 初めて見る。

 フォークは、がくんと膝から崩れ落ちていた。

 そうなるのが、自然のように。

 横になって、倒れてしまっていた。

「大丈夫ではないね」

 顔が近くなる。

 銀に近い髪の色の青年は、優しくフォークの額をなでると、そのまましゃがみこんだ。

「この子がお世話になったね」

 青年の背中越しに、空が見えた。

 いつの間にか、星が輝く時間へ移ろっていた。

「……だれ、で、すか……?」

 自分の声なのに、遠く感じる。

 フォークは痛みがないのが不思議だと思いながら、フード姿の男性に話しかけていた。

「フォア。こことは違う、世界の魂だよ」

 よくわからないが、本当はここにいてはいけない人だということは、感じていた。

「どう、して」

「この子とはぐれてしまってね。探していたんだ」

 ツキが大事にしていた置物の頭をなでながら、彼は辛そうにフォークを見る。

「ぁ……」

 フォークは、唐突に込みあがってくる涙と、悲しみと、恐怖を隠せなかった。

 とめどなく落ちる涙には意味があったはずだった。

「ご、めんなさい」

「謝ることはないよ」

 青年は、星空のように全てを許すような笑顔を浮かべていた。

 それで余計に申し訳なくて。

 なにが申し訳ないのかは、フォーク自身にもわからなかったが。

「君は、人を殺しすぎたけど、きっと、悲しかっただけなんだね。それに、その力が、暴走してしまったんだ」

 なにを言っているのか、フォークにはわからなかった。

 けれども、一つだけわかることがある。

「助けてくれて、ありが、とう、……ご、ざい、ます」

 手足だけでなく、口からも血を吐き出しながら、ああ、と思う。

 胴体にも、銃弾があったんだ、と今更ながら苦笑した。

「ああ、別に構わないよ。それより……君は、本当は、どうしたかった」

 フォアの真剣なまなざしに、涙と嗚咽しか出なかった。

 フォークは、情けないな、と自分にがっかりした。

「そうか。うん。大丈夫だよ。言わなくてもわかった。家族を失ったから、悲しかっただけなんだね」

 視界がだんだん、暗くなる。

 フォークの変化に気づいて、青年は瞬き程度に目を閉じ。

「君を助けてあげよう。この子も、この結果は望んでないみたいだから」

「え……」

「といっても、今の君を助けることはもう無理なんだけれどね。もっと時間をさかのぼって、同じことが起きても君の家族が死なないように、歴史を変えてあげる」

「そ、んな、こ、と」

「やるよ。世界を救ったこともあるし、そもそもここの住人じゃないからね」

「――ほん、と?」

「うん」

 フォアと名乗った青年は、フォークの涙をぬぐってあげていた。

「できるだけのことはする。それがどういう結末になるかはわからないけれど」

「みん、な、たすか、る?」

「ああ。こんな凶行も、させない」

 一層暗くなる視界に、フォークは自らの死を予感していた。

 全身の痛みが、銃弾による傷が少年の命の火を削り取っていた。

「だから、お休みなさい。大丈夫、今度はきっと――」

 君を助けるから。

 そんな奇跡があるのかな、と思いながら、フォーク・キルストゥは命を終えた。


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公開日2025年5月17日

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