昼下がりの、町中だった。
ふつうにアスファルトで舗装された道を歩いていただけ。
来るかなぁとは、考えていたが、まさか本当に不運としてチンピラに絡まれるとは思わなかった。
強面のお兄さんたちに引きずられていく途中、茶髪の女性の姿が見えた。
自分で良かった、と思ったのはさて、幸運か不運か。
さんさんと照る光が陰ると、いつもの通り暴行を受け、財布の中身を見て――。
「あぁ? なんだ女」
さっきちらっと見えた、女性の姿が見えた。
軍人だろうか?
長剣を帯刀して、笑っている。
「なんだてめぇ?」
強面のお兄さんたちに屈するどころか、それを流して口の端を吊り上げた。
抜き身にした剣を構えた瞬間、寒気が背筋をなぞった。
どこにでもいそうな顔立ちでも、瞳は殺意を孕んでいたから。
腰が抜けたけれども、同時に、それが美しい、とも思ってしまった。
ひゅんっと、剣があえて誰にも当たらずに宙を舞う。
それを見て逃げ出した一同を見て、彼女の目は呆れに変わった。
「あら、逃げちゃったかー。ねえ、大丈夫?」
怯むどころか楽しげに剣を数回振っただけ。
それだけで蹴散らした細身の女性――否、細身ではなく、身体は無駄な肉がついていないだけだった。
彼女は、自身を傭兵だと名乗った。
急ぐあまりタクシーも呼ばずに走ったのが、失策だった。
茶髪の女性は剣をしまうと、怖がらせちゃったかなー? と微笑んだ。
美麗だった。彼は、差し出された手を握り、はい、と礼儀よく答えた。
新品だったスーツは砂だらけで、これでは会議に出られない。
彼女もよく見ると、エルニーニャではあまりみない、軽鎧をまとっていた。
しかしその身の美しさを遮ることはできなかった。
「まったく。ここはなよなよしてる男が多すぎよ」
「すみません」
「あ、別にあなたを責めたわけじゃないんだけど。ところで――」
彼女はキルストゥと名乗っていた。
どこかで聞いたことがあったけれど、親が傭兵で、自分も跡を継いだのだ、とか。
両親も放浪癖があり、それを受け継いでいる、ということ。
それで、エルニーニャへやってきた、とのこと。
広い国土を巡っていて、悪人退治をして回っているのだと喜々として語った。
会議にはもう間に合わないので、彼女の話を連れ込まれた路地で聞くと、別世界に生きている人間なのだな、と感じていた。
軍社会とはいえ、親が会社の社員であり、そのあとを追った自分。
けれども。
それでいいのかと、自問することも増えていった。
だからこの出会いは偶然なんかじゃなく。
運命だったんだと。
そう思っていたかった。
だから、最期がどうであれ、後悔はない。
ほかの身近な女性よりも、精力的で魅力的な彼女に惹かれたのは自然だったのだ。
これを逃せば、きっと。
何よりも、後悔する。
アタックは自らで。
どこか挑発的に笑う彼女が、とてもとても、魅力にあふれていて。
ああ、これでよかったと。
子供たちに囲まれた今では、家との関係を断ってでも選んだ今が、満ち足りていた。
だから彼女の悲鳴と銃声が耳朶を打つ、死ぬ間際、彼は悲しかった。
子供たちのこと。
彼女の足手まといになったこと。
そして。
もう二度と、笑顔に会えないことを――。
理解してしまったから――。
「だ、誰ですか?」
「いや、気にするな」
ツキ・キルストゥはインターホンを鳴らさずに入ってきた、見知らぬ茶髪の、妙に筋肉質な男に問いかけていた。
家で就職先を両親と相談するところだったのだが、軍には入るな、と言われていた。
軍人家系でもないし運動も苦手なツキは、最初からそんな選択肢はなかったのだが。
「気にしますよ!」
声をいくら荒げても、男は手をひらひら振っただけで、聞く耳を持ってはくれなかった。
「だから、気にしなくていい。これから、守ってやるんだから」
「はぁ! 軍人呼びますよ!」
これは不法侵入だ、と声高に叫んだとたん、テレビでしか聞いたことのないような、銃声が轟いた。
「――え?」
「だから、気にするな」
男の手のひらが、ツキの前にあった。
撃ち抜かれる前に、かしゃんっと、四角い箱――たぶん金属だろう――が落ちる。
「邪魔するのか、お前」
見つめれば、見知らぬ黒髪の男が玄関を開いてそこで放った声だった。
服装は藍色の軍服のようで、茶髪の男は一般の軽装だ。
どこの店でも買える、だからこそ銃弾を防いだことに、ツキと軍服の男は驚愕した。
撃った男からは好意など感じられず、腹の底から恐怖が沸き上がってきた。
だが、目の前の茶髪の男がいるから、冷静を保っていられる。
その手のひらが、頼もしいと感じてしまった。
情けないな、と自身に思わずにはいられなかった。
「邪魔? 人殺しは犯罪だ。そんな基本的な法律も知らない輩に言われたくないな」
「キルストゥは別だ。あんな高額な懸賞金がもらえる国なんて、そうそうないからな」
「ちっ、金目当てのエセ軍人か、金のために指令でも受けた軍人か」
茶髪の男は面倒そうに告げると、ちらっとツキが手を震えさせていた。
「嫌だといっても、こっちも命かけてるんでね」
軍人だか軍人ではないかわからない男が、叫ぶ。
「ここじゃ犯罪だ。金も手に入らないだろ」
「どうだか」
茶髪の男は大人しく交渉で乗り切れる相手じゃないか、と面倒そうに呟いた。
ツキは、二人のやりとりを他人事のように感じていた。
突然訪問してきた男と、賞金稼ぎの軍人? という男と。
思わず手の甲をつねるが、痛みがある。
残念ながら夢ではなかった。
「えっと、どういうことでしょうか?」
「キルストゥは、東のとある小国では賞金がかけられてるんだよ」
「そういうこった。死体でも構わないってことだしな」
「それは困るな。お引き取り願おうか」
ツキの前に立ち、茶髪の男は横目でツキを見る。
「名乗ってなかったな。俺はシーザライズ。フォアとお前の家族を守りに来た、傭兵だ」
ツキは傭兵、と口にし、母親の知り合いかと判断した。
が、現実は違うのだが、それを知るのはまだ先の話で。
レリアを死へと導いてしまった男は、ツキの前で、彼女の前では制御しきれなかった異能を発揮した。
音もなく、銃口を向けられたシーザライズは不敵に笑う。
「くっ」
賞金稼ぎの軍人は、手にした拳銃をシーザライズへ向けた。
「そのまま撃つと、暴発するぞ?」
「なにを――」
シーザライズの忠告を聞かなかった代償は大きかった。
男は引き金を平然と引いて――暴発した拳銃をまともに浴び、悲鳴とともに地面に叩きつけられていた。
「キルストゥ、救急車を呼んでやれ」
「……」
「キルストゥ?」
シーザライズがもう一度、名を呼ぶと、震えていたツキは慌てて平静を取り戻し。
「あ、は、はいっ」
まるで、映画のワンシーンのような出来事が、実際に起きている現実を、なかなか受け入れられなかった。
あまりにあっけなく苦悶の声がするも、まだシーザライズの態度が平然としすぎていて、ツキは舞台を見ているような錯覚に感覚が逃げていた。
それもあり、感じていた恐怖心も首を引っ込めて、ツキは痛がる賞金首狩りを名乗った男を哀れに思っただけだった。
まだ、自身を巻き込む悲劇も知らずに。
「お母さん……」
学校帰り。
いつもと変わらないと思っていた日々は、あっという間に彩を変えた。
フォーク・キルストゥは亡骸となった両親を、帰り道である商店街で見てしまった。
朱色と鉄のにおいが、死を濃く反映させていた。
茶髪にアホ毛が二本揺れている少年は、目の色が薄っすらと消えていく。
「お父さん……」
商店街で起きた他国の軍人によって、沈黙が恐怖とともに彼らを押し留めていた。
「君!」
それを破って、薄青のフードの青年は血だまりにへたり込む少年を、抱きかかえた。
皮切りになった声に、周囲に集まった商店街の中の人々の騒然も、二人には届かない。
否、遮るフードの青年――フォアの声があった。
シーザライズと別れてから、急いできたとはいえ、間に合わなかった。
フォアはこれを止めるためにここまで来たというのに、人間の身体というハンデを正確に理解していなかった。
だから、フォークの身体を、抱きしめてあげることしかできない。
数十年も、この日のためにあったというのに。
「ごめん、ごめんよ」
「っ」
だがそんな事情も知らぬ人の抱擁に、フォークは目を見開いていた。
「間に合わなくて、本当に、ごめんよ」
「え……」
必死な声に聞き覚えなどなく、フォークは困惑して声の主を見ようとした。
「ぼくらがもう少し早く来ることができたら、助けられたのに、ごめん、ごめん」
「くっそ、あんたたちはっ! あんな疫病神を殺すのは当然の」
いつの間にか、発砲した他の藍色の軍服のショートヘアの女性が、声を出す。
キルストゥになにかされたのか、それともレリアみたく誰かに唆されたのか。
「静かにしてください。うるさいです」
淡々と告げた声は、凍り付くかのように冷たく、彼女の手を叩いて銃を落とさせた。
「ひっ」
今まで気配を消していた黒尽くめの青年は、途中から足の遅いフォアを抱きかかえて、フォークの家からシーザライズと分かれてここまで来た。
「軍人が来た来た。あとは任せようぜ、リタル」
「ええ、クルア」
商店街の人々が遠巻きに見守る中、青年、フォアは軍人に声をかけられるまで、放心したフォークを抱きしめていた。
まるで、実の子のように、ずっと。
フォークには、そうされる意味がわからず、心が混乱してしまっていた。
そんなことも、フォアには理解されないまま。
「君の両親は死んだ。これは、わかってほしい」
救急車と同時に、学生服に似た軍服を来た青年は、シーザライズと共にツキに現状を告げた。
ツキは家で、殺人事件の担当だという軍人から両親の死を知らされた。
「は? なにを」
「これが、フォアの言っていた未来、か」
シーザライズは変えられなかった無力をかみしめて、歯ぎしりした。
これを知っていたフォアは、どれくらい辛い思いをしてきたのだろうか。
いや、とシーザライズはフォアの言葉を思い出す。
彼は山の上でフォークと死別したという。
両親の死がいつだったのか、知らなかったと考えるのが妥当だろう。
凡ミスだ、と思いながら、やり直せれば、とも考えたが、あのフォアの置物がある可能性世界はもう終わっている。
フォア自身が回収したのだ、本来ならこの世界にももうないはずだが、わざと残して待たせていたらしい。
そんなことを考えながら、嘘だろ、と告げるツキを見つめた。
「なに、冗談を」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!」
だんっと昼の風をドアから入れながら、勢いよく入ってきたフォークはツキを抱きしめた。
フォークの服は赤く、嫌な臭いはしたが、傷を負っているようではなく。
「よかった、よかった! 本当にお兄ちゃんは無事だったんだね!」
「え?」
その言葉が、背中に氷を入れられたようで、ツキは目を瞬かせた。
「フォーク、嘘、だろ?」
「よかった、よかったよぅ!」
兄の無事な姿しか目に映らないフォークは、嬉しすぎて涙を流していた。
血がしみ込んだ衣服に目がいったツキは、命の恩人であるシーザライズを見つめた。
「俺も詳しくは知らないが、この状態で軍人が嘘を言うと思うか?」
どんなメリットがある、と言いたげに、彼はやってきた軍人を見つめた。
「こんなことになって、残念だと思っている」
若い軍人は、深々とツキに頭を下げた。
「キルストゥの問題は、他国の話だと侮っていた部分があるのは否めない」
なんだそれ、とツキはわけのわからないことに解決の芽を求めて、シーザライズを見た。
彼はツキを見ておらず、フォークの入ってきたドアへ視線を移していた。
「キルストゥは、東のとある小国では莫大な賞金がかかっている一族なんだよ」
薄青のフードを被った、背の低い青年が、軍人に変わって静かに告げた。
彼の衣服も血に濡れ、その瞳はツキを不思議そうに射抜いていた。
「なんで君たちが父親の姓を名乗らないのかは不思議だけど、このままだと危険だよ」
「わけ、わかんねえよ」
ツキは自宅の居間の壁によりかかり、嬉しくてあふれる雫が止まらないフォークの頭をなでていた。
「そんな話、聞いてないよ、母さん」
「父親の姓は名乗れなかったのか?」
シーザライズが尋ねると、ツキは聞いた話だけど、と前置きした。
「結婚、反対されたから、子供には母さんの姓でってことになったんだって」
「結婚に反対?」
「なんでも、得体のしれない母さんと、普通の父さんが結ばれるのは、父さんの家族が認めなかったんだって」
ツキは母親の悲しげな、唯一それだけは心残りだったと言いたげな言葉に、目を伏せた。
「そういうことか……」
「だから、夫婦別姓、そして俺たちはキルストゥを名乗ってるし……」
「これからは、それだと危険ですね」
殺人担当の軍人は帽子をかぶり直しながら告げた。
「あなたたちを襲った人間は、軍人でした。その、東の小国の」
「やっぱり、ただの賞金首じゃなかったのか?」
「あの国では賞金もかかっていますが、ただの一般軍人が、わざわざエルニーニャまでくるとは考えづらい」
「ということは、賞金をかけた国が仕向けたことかもしれないってことか」
シーザライズがつぶやくと、若き軍人は首肯した。
「これは国際関係の問題になりうることです。お二人は、軍の保護下に」
「姓を変えればいいと思うよ」
いつの間にきたのだろうか。
すっと、フードの青年、フォアはシーザライズの横に立って、挙手した。
「変に軍が関われば、それこそ一発触発、誰かの思惑通りになる。それならいっそ、姓名を変えてしまったらいい」
「いえ、それだけでは」
「一応、ぼくたちはその小国からやってきて、キルストゥ側についている人間だ」
得意げに話すと、フードの青年は若きエルニーニャの軍人に告げる。
「彼らの保護はぼくらがする。軍人さんたちが関わると、ちょっと国同士の関係がややこしいことになる可能性がある」
「ですが」
「いまの小国の内部、どうなってるか。わかってないでしょ」
ここにいるあなたたちにはわかるのか、とエルニーニャ中央司令部所属の彼の目は言いたげだった。
が、被害者たちもなにも言わないことで、逆に眉を寄せた。
「……わかりました。そこまで強く言われるというのなら、策もあるのですね」
若き軍人は、ため息一つついて、フォアとシーザライズを見つめた。
「あなた方二人も、異論はないですか?」
「あ、ああ」
「うん」
ツキは状況に流されて、そしてフォークは理解せずに頷いた。
「というわけですから。このこと、あなたの上司に伝えてくれませんか?」
フォアはさらっと告げると、彼はしぶしぶといった感じでわかりましたと返事した。
「キルストゥの名は伏せてほしい。狙われるからな」
「ぼくたちが、所々の手続きをおいおいします。ということで、この子たちに話があるので」
「わかりました。……ですが、我が国の国民です、ゆめゆめお忘れなきように」
釘を刺して、その軍人は玄関を出て、退席した。
ツキを殺めようとした他国の軍人の、暴発してできた怪我の血をシーザライズが嫌々ながら掃除しつつ、気持ちの良かった風は、今は冷たく感じられた。
ツキはエルニーニャ国の軍人が去ったのを見て、見知らぬ二人組に助けられたとはいえ、声を荒げた。
「あんたたち、何者なんだ? 東の小国って言ったし、オレたちに関係あるのか?」
「フォアは、知ってるんだろ?」
「ふふ、自慢じゃないが、違う未来をたどったこの子との約束で、助けに入ったに過ぎないんだ」
薄青のフードを被った青年は、胸を張って三人に告げていた。
「おい、まさか何も考えてなかったんじゃ」
シーザライズの言葉を無視して、フォアは言葉を紡いだ。
「名前を変えるのに抵抗はあるかもしれないけれど、それが自衛手段としてはいいことはわかるよね」
「あの、軍人を、エルニーニャの軍を信用してないんですか?」
ツキが言えることはそれだけだった。
まだ頭の中が混乱しており、目に見えたことだけしか、今は信用できないでいた。
「まあ、信用というか。軍の中にキルストゥのことを知ってる人がいたら、ちょっとややこしいからね。さっきも言ったけど、あの国は今は混乱の極みにある。下手に大国であるこちらが手を出すと、戦争になっちゃって、大変なんだよねー」
「……俺たち、相当大変なことに巻き込まれてるのか?」
「簡単にいうと、そういうこと。で、姓を変えて、生きるのがいいとぼくは思うよ」
「俺たちを信用できないなら、軍に言えばいい。キルストゥのことは、内部の上層部か関係者なら知ってるだろうからな」
命の恩人たちが、気を遣ってくれてるとツキが感じていた。
「……フォーク、どうする?」
「ぼくは、お兄ちゃんといられるなら、そっちでいい」
ぽつり、と寂しさをにじませて、フォークは告げた。
ゆっくり、フォア、シーザライズ、ツキを見上げて。
「お兄ちゃん、ぼくのこと、置いていかないでね」
「……っ!」
「それにそこのフードのお兄さん、いっぱい『ごめんなさい』って言ってくれた……」
ぽろぽろと、こぼれる涙を抑えきらないフォークは、そのまま顔を上げて笑った。
「知らない人だけど、守ってくれる気がするし」
ちょっと変わってる気がするけど、とフォークは付け加えた。
「ま、確かに変わり者ではあるが……本当にレリア似だな、この子」
「レリアって誰?」
目を見開いたシーザライズだったが、すぐに、胸を押さえた。
「知らないって、時代は移り変わってるんだな」
それとも、他国のことは知らないのかな、と苦笑した。
「まあ、フォアが関わりたくなるのもわからなくもないな」
「でしょう?」
「あの、お二人は一体?」
ツキはフォアとシーザライズを見比べていた。
どことなく、違和感を感じる二人組だ。
「あ、シーザライズは異能力者で、元軍人の元傭兵」
「今も傭兵のような感じだがな」
「彼と離れられない運命にあるのが、ぼく、フォア」
フードを取ることなく告げた青年は、胸を張って軽く笑った。
「???」
意味が分からない兄弟は、二人をまじまじと見つめた。
「シーザライズにはこちらの世界ではお世話になってるんだ」
「まあ、相棒ってやつだ」
なぜか、ツキは違和感を禁じ得ないのだが、フォークが嬉しそうに笑っているので考えを飲み込んだ。
「そう、なんですね」
ありきたりな感想をこぼすに止めた彼を見て、フォアはツキのブラウンの瞳を覗き込む。
「とりあえず、書類とか、面倒ごとはなるべく俺らが面倒を見てやる。ま、ツキもいろいろ手伝ってもらうし、軍人からいろいろ聞かれるだろうけれどな」
でもシーザライズは、心配するな、と言いたげに、片目を閉じた。
「今まで通りとはいかないだろうけど、なるべくいままで通りでいけるようにぼくらがサポートするから」
「でもフォア、助けた後のことは、あんまり考えてなかっただろ」
「うう」
シーザライズに指摘され、フォアは泣きそうな顔になる。
「で、でもこういうとき、どうしたらいいかはわかるよ」
「そうなのか?」
「いろんな人の人生を歩き渡ってきたからね。まずは面倒な手続きを相手にしよう!」
「……現実味あるな、それ」
シーザライズがため息をつくと、ツキは微笑を浮かべた。
「よくわからないけど、お世話になります」
「ぼ、ぼくもお世話になります」
フォークが頭を下げる。
「よろしくね」
フォアが差し出した手を、キルストゥの兄弟が握った。
シーザライズは腕を組み、それを見つめながら、フォークを眺める。
今度こそ、守り抜くと。
あの時とは違うんだと、自分に言い聞かせながら。
本当は、両親も助ける予定だったフォアは、無力さに夜空を見上げていた。
そこはシーザライズに上げてもらったフォークたちが住む屋根の上だ。
「怨念の魔じゃなくて、人間が、殺してたんだ……はぁ。知ってたはずなのに、すっぽり抜けてた」
「でも、ツキは助けられたし、フォアが見たフォークの最期は避けられたんだろ?」
どこからともなく、シーザライズは能力で作り上げた水を飲みながら、フォアの横に立っていた。
「唆したのは魔だろうな」
「うぅ……にしても書類仕事、かぁ。手が震えちゃうんだよね」
「そうなのか?」
「うん。なんでもこう、ふわっとクリアしちゃってきたから」
呆れ顔のシーザライズを援護するように、屋根を走る足音が二人に届いた。
「え、リタルさんと、クルアさん!」
目を見開いたフォアの前には、闇が似合う黒の青年リタルと、金髪の青年クルアだった。
リタルに抱かれて運ばれたフォアだったので、彼の力は相当人間離れしているのは知っていた。
今度は、情報屋であるクルアと、ここに来た。
身構えるフォアに、シーザライズは口からコップを離し、二人を見つめた。
「ドジッた。すまない」
「ぼくがもっと落ち着いて、いつあったか知らないまま来たのが悪かったんだ。責めないで」
フォアが言葉を紡ぐと、クルアが少しだけ慰めはいらない、と突き放す。
「じき、軍人たちが現場検証に来るから、フォークとかだっけ、一緒にいてくれ。両親を殺した奴のほうは、おれたちで牢屋にぶち込んできたから」
「そっか……うん。付き合ってくれる?」
「今更なこと言うなよ」
にっと笑みを浮かべ、クルアは口は達者だからな、と笑った。
その日の晩は、ツキとフォークにとっては目まぐるしく日常が変わる分岐点となった。
時間が解決した問題もあった。
「と、いうわけで。雑誌にも取り上げられかけたが、キルストゥからキルアウェートな。今日から」
ツキ・キルストゥ及びフォーク・キルストゥは、キルアウェートという名に改変することを許された。
「あの、こういうのって、本人が裁判所とかにいかないと駄目なんじゃ……」
「黒の男と金髪の男が上手くやってくれたんだ」
シーザライズにとっては、何年も一緒に居てもレリアを死に追いやった、ということが未だに尾を引いていて、素直にはなれなかった。
そう、大して時間もかからずに済んだのは、彼らのスキル――主にクルアの顔の広さだ。
フォアとシーザライズは、書類をささっと書き上げただけ。
フォークとツキは、あっさりとそう時間もかからずに、二人とも苗字が変わった。
「なんか、実感わかないね、お兄ちゃん」
居間に揃った書類と、お菓子の入った器からフォークはつまみながら、横に座るツキを見つめた。
「そうだな……父さんの姓でもないし」
「嫌だったか? だが、ジャーナリストたちが面白がって家に来ないようにする、という名目で軍にも異例の許可を出させた」
シーザライズが不安そうに問いかけ、答えも明かす。
裁判もこの二人が付き添ってくれたことで、二人はちょっと精神的に余裕ができていた。
両親をいっぺんに、理不尽な理由で奪われたのだ。
しかし、ツキは意外と、自分でも驚くくらいには冷静でいられた。
たぶん、シーザライズが淡々と語りながらも激怒を抑えていたのを見ていたからだろう。
「いいえ。新しい生活のためですから」
「敬語いらないぞ」
シーザライズが言うと、フォークはでも、と反論したげな表情で彼を見た。
「なにもしてないのに、どうして助けてくれるんですか?」
「両親の通帳も、名義変更とかいろいろ手伝ってもらって、お金の問題もありませんけれど……」
「前に言っただろ? 俺のせいでお前たちの両親が、その……殺されたって」
「そこ、なんで詳しく教えてくれないんですか?」
シーザライズは、困ったように視線を逸らすだけだった。
フォークを見ていると、自分が殺したような少女の面影が色濃く残りすぎて辛いのだ。
「フォーク、あまり言いたくないことを詮索しちゃだめだ」
「だって、お兄ちゃん。ここまでふつうは、しないよ……」
「調べたらわかることではあるけれど、フォークくんにはまだ早いね」
というと、フォークは不満げに頬を膨らませた。
自分一人だけが置いてけぼりにされている不満が表に出ていた。
「あまり、フォークには触れてほしくないんだ」
「うん……お兄ちゃんが、言うなら我慢する」
「まあ、もうちょっと大きくなったらおいおい話すよ」
ツキが言うと、フォークは首をしぶしぶと縦に振った。
「お兄ちゃんは、聞いたの?」
他人には聞かれないほどの小声で問う弟の声に、ツキはああ、と頷いた。
シーザライズが王族殺しをしたレリアを匿ったということ。
そして、彼がそれを情報屋に話をして国を出ようとしたところを逆に国に売られたということ。
その話を、シーザライズはツキにはした。
ツキ自身は、それがきっかけで親が殺されたことで怒りを感じもしたが、命の恩人でもあるシーザライズに対して、それ以上強くいうこともできない。
「まあ、それはフォークがもっと大きくなってからな」
誤魔化すように、頭に手をのせてフォークの頭をなであげた。
「これでもう、キルストゥとは名乗ってはいけないよ」
「うん……」
慣れ親しんだ名前を捨てて、別名を名乗る。
まるで親が離婚したみたいだ、とツキは内心思い、苦笑した。
父親の姓ともまったく違う名だから、そういうわけでもないのだが。
「フォアさんたちがいてくださって本当に助かりました」
「ぼくらにとっては当然のことだから、気にしないで。それに本当に大変なのは、これからなんだから」
「ああ……」
ツキは苦虫をかみつぶした顔で、ふぅっと深くため息をついた。
これからのこと。
いくらサポートするといっても、自分たちだけで乗り越えていかなければならない問題も多数ある。
それを考えると、ツキは両親がいたありがたさを否応なく感じていた。
「仕事……就職、どうするかな……」
「お兄ちゃん、もう卒業だもんね」
「ん? 仕事探してるのか?」
「ええ……軍人以外で」
「軍人って、簡単になれないだろ」
シーザライズは呆れたように告げる。
元軍人だったからこそ、その厳しさと辛さがわかるのだ。
「いえ、試験さえパスすれば、入れるんですよ。テレビのコマーシャルとかでも宣伝してますし」
「テレビ……」
なぜかフォアが興味ありげに呟く。
「ともかく、しばらく生活費稼がないといけないんですよね」
「お金、かぁ」
フォアはテレビの単語を気にしながら、顎に手を当てて思案する。
「うん、大丈夫。通帳の残高でしばらくもつし、ぼくたちのお金も、必要なら使っていいよ」
「おいおい、俺らもそんなに金持ってないだろ」
「知ってる? 宝石はお金に換金できるんだよ、シーザライズ?」
得意げに笑みを浮かべるフォアに、彼は悪寒を覚えた。
「俺の能力で宝石作れってか。犯罪じゃねえか」
「キルアウェート家の危機だからね」
「あの、それなら早く仕事見つけるんで、その、手を煩わせるわけにはいきません」
しっかりとツキが告げると、二人の青年は顔を見合わせた。
「一応、君たちの父親の銀行口座からは引き落とせるようにしてあるから、急がなくてもいいよ」
「おい、それは初めて聞いたんだが」
シーザライズが唇を尖らせる。
「クルアさんたちがさりげなく会社に交渉して、デザイン料とか少しは振り込みしてくれるようにしてくれたって。それにもう通帳は名義変更してあるし」
フォアは片目を閉じて、フォークとツキを見つめた。
「ええっと、それはいいことなの?」
「お金の心配するより、いまは身の振りを考えたほうがいいと思うよ」
フォアが告げると、二人は押し黙ってしまった。
「ツキくんの仕事探し、ゆっくりやるといいよ。焦って失敗しても仕方がないんだし」
「そうだよ、お兄ちゃん。ぼくもお手伝いするから」
にこっとフォークが微笑むと、ツキは脱力して弟の頭をなでた。
「そうだな……フォアさん、ありがとうございます」
「ううん、お礼ならクルアさんたちに言ってね」
「あの金髪の人ですね。腕輪がちゃがちゃ持っている。わかりました。そうします」
「えへへ。お兄ちゃんと一緒に暮らしていけるんだよね」
フォークは嬉しそうに兄の手を握る。
それしかもうないといわんばかりに。
「うん、でも本当に兄弟だけで住むって決めていいのかい?」
「親戚もいませんし、オレたち二人の問題ですから」
告げると、フォアは目を背ける。申し訳ないと言うように、肩を落としていた。
「そう、決めたならもう何も言わない。でも、困ったらここに電話してね」
差し出された紙を、フォークがまじまじと見つめた。
「中央商店街の、刃物屋さん?」
「シーザライズとそこで、異能力を持ってる男の人と暮らし始めたから」
「ああ、なんかなよなよしてる感じの人か。刃物と縁がなさそうなのにな」
「ははは……それ聞いたら泣いちゃうよ、彼」
フォアが苦笑し、それから話を改めるように息を吐く。
「もうキルストゥ姓は名乗らないこと。これだけは徹底してね。いくらぼくらでも一緒に住まない以上、守り切れないこともあるから」
「わかった」
そこで、小さくフォークが手を上げた。
「えっと、友達にはどういえばいいかな」
答えを求めて三人を見ると、三者三様といった、笑顔などの表情が返ってきた。
「両親が亡くなったからでいいだろ」
シーザライズがぶっきらぼうに言い放つ。
「そうだね。……ただ、キルストゥを知らない人には言わないこと。誰から漏れるかわからないからね」
「うん」
と言いながら、フォークはお菓子をつまんでいた手を膝の上に置いた。
「あいつにも、言い含めておかないとな……」
ツキは腐れ縁の友人、アイスのことを思い浮かべながらため息をついた。
「ま、まめにここには寄るよ。今晩は、ここで夕食を取るか」
「そうだね」
フォアとシーザライズが会話をまとめる。
泊まりも一応していくか? と言うと、フォークが目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
「わーい」
「えっと、その、刃物屋さんはいいんですか?」
シーザライズは訊かれて、にやりと口の端を上げた。
よくないことを考えているときの、彼の癖だとツキは最近わかった。
「さっそく、電話してみてくれたまえ」
「そこまで見知った人じゃないんで」
なぜか口調が変わっている元傭兵に、ツキは呆れて、苦労してそうだな、ということだけはわかった。
そんなことなど露知らず、フォークとフォアは台所へ向かう。
これから、どうなるかはわからない。
ツキは不安を打ち消すように、シーザライズに見守られながら受話器を取る。
電話越しに、なんでいないんですかー師匠ー!! と泣かれていて電話したことを後悔した日だった。
ちなみに、当のシーザライズはおかしそうに笑っていた。
ああ、上司じゃなくてよかった、とツキは心の底から思い、フォークは首をひねるのだった。
それからが、キルストゥ――キルアウェート兄弟の二人きりの生活の始まり。
未来なんて、まだ、誰も知らなかった頃のお話――。