「なあ、あの人たちは、どうしてオレたちを助けてくれたんだろうな」
肩まである茶髪をゆらしながら、オレは立って寝室に飾ってある変な置物に手を置いた。
中身は球体。
しかしその上にまっさらな白い布がのり、頂点から花を咲かせている、幼いときからの大事な物。
名前も忘れてしまった。そもそもあったのだろうか、とも思う。
布を被せれば顔もついてくる、この異質なことはわかる置物との出会いを思い出す。
もう、この世にはいない、笑顔が溌剌とした母と、そんな母の尻に敷かれている父の苦笑を、今でも思い出せる。
時刻は深夜になろうとしている。
薄い橙色の読書灯の明かりを見つめて、オレは反対側のベッド、弟のフォークの寝顔を見る。
明日も学校があるから、とはいえ家事を任せっきりにしている自分が情けない。
フォアさんが来てから、いかに両親が家事をしっかりこなしていたかを痛感させられた。
洗濯機の回し方さえ、オレは知らなかったから。
洗剤の買い足しに詰め替え、風呂掃除にアイロンなどなど。
完全にフォークと二人っきりなら、途方に暮れていたかもしれない。
「そりゃ、どこも採ってくれないよな……」
ため息とともに、オレはベッドに腰掛けた。
ちらりと、ホテルのベッドみたいに存在するテーブル、その上に置いた花を咲かせている不思議なものとの出会いを、回想する。
「明日は、就職のための面接なのにな……」
なんて逃げでしかないことを呟きながら、オレは目を細めて、過去に意識を飛ばした。
夕焼けが早く落ちる季節だった。
しかし、寂しさはまったくない。
「ツキは何が食べたい?」
「今日は建国記念の日だからな。商店街も露天を出して賑わっているよ」
母と父の声に、オレはわくわくしていた。
友達のアイスは来れなくて残念だったなと思う。
あいつ、家に帰ってるから仕方がないけれど、いつもいる人がいないというのは、ちょっと胸に痛んだ。
けれども、いつもとは違う格好をした人々であふれかえる道は、好奇心を鷲掴みにした。
浴衣姿の、鮮やかでがやがやとしたした景色。
家ではかいだことのない、甘い香りが舞い散っている。
「えーと、えーと」
幼いオレは、人々の隙間から見られる姿だけでしか食べ物の看板が見られない。
そして、立ち止まることもできないまま、通り過ぎていく。
人の流れが止まらないのだ。
「あ、焼きそばある! 買ってくるから、あっちで待っててね、ツキ、お父さん」
浴衣姿のお母さんがウインクをしたかと思うと、人混みの中に消えていく。
母さんは、本当に浴衣が似合う。
「ふふ、お母さんは賑やかなお祭り、大好きなんだよ」
上から、優しいお父さんの声が降ってきた。
その柔らかな日差しを思わせる、ゆっくりとした話し声は雑踏に紛れない。
「お父さん、体力がないからツキを肩車させてあげることはできないんだ。ごめんな」
「ううん、一緒にいるだけで落ち着くから嬉しい!」
オレは自然と笑みがこぼれた。
お父さんよりお母さんのほうが強い。
けれども、お父さんのほうが、弱々しいけど優しい。
きっと、母もそこが好きになるきっかけになったのだろう、と幼心に思った。
「ん、あっちの木の下へ行こうか、ツキ。ここだと人の邪魔になるから」
と、お父さんが言ったので、オレはコクリと頷いた。
喧騒が遠くなり、ぽつぽつと他の人達も歩くのを止めている人が多くなった。
「お店の裏側が見れるな」
「うん」
「今のうちに食べたいもの、考えておきなさい。すぐ買えるようにね」
父の言葉に、オレはりんご飴やわたあめ、そして母が買いに行った焼きそばなんかを思い浮かべた。
甘くて美味しい――焼きそばは違うけど――ものばかり、連想してしまう。
いちごあめに、チョコバナナ、他にも他にも、家じゃ作れないものが、この中には詰まっている。
「アイスも来れば良かったのに」
ぽつりと、友達の名を呟く。
「アイスくんの家はここじゃないんだろう? 仕方がないさ」
お父さんの言葉に、おれは頬を膨らませた。
「わかってるけどさ……」
「一緒に遊びたかったかい?」
「うん……」
「お祭りは、来年も、再来年も、もっと後にもあるから。大きくなったら、きっと一緒に回れるよ」
お父さんはそう言うけれども。
今一緒じゃないのが悔しかった。
他の子たちは、友達同士でも一緒だって話をしていたし。
嫉妬心だったのだろう。オレは俯いて、小さく息を吐いた。
ふと、変な感じを受けた。
なにかと思ってお父さんを見上げるけど、視線は遠くを眺めていた。
お父さんじゃない。
なにかわからないもやもやした、けれどもはっきり感じる違和感に、オレは人混みへ駆け出した。
と、いきなり浴衣の首根っこを掴まれる。
「いやー、一人は危ないぜよ、ちみっこちゃん。すませんなー」
どこかの訛りが混じった声が降ってきて、顔を上げる。
ぷっくりとし、頭にバンダナを巻きつけて薄い髪を広げる、出っ歯の人だった。
「おや、球体?」
お祭りの激しい明かりに照らされて、足元にキラリと光る手のひらより大きそうな丸いものが転がってきていた。
「ああ、これは拾いもんでして。この布を乗せると……」
と、ぷっくりとした人が白色に見える布をそれにかぶせる。
瞬間、丸く縫ったような二つの点が現れ、頂点から一輪の花が咲いた。
「え……」
瞬間、なんとなく、これはここに相応しくないと直感し、身構えた。
「面白い玩具ですね」
声のトーンが固くなる。でも、理由はわからない。
「でしょう? でも、さっき拾ったものだかんな、そこの子が気にしてたっつし、無料で差し上げるぜよ」
「ツキ! なにしてるんだい?」
お父さんが駆け寄ってきて、少し、怖い目をしていた。
「ああ、この子が人混みにな、突っ込んでいきそだったか、止めたんや」
ほれ、と球体をオレの手の上に落とした。
「そんな……商売してる方からいただくのは」
断ろうとするお父さんに、ぷっくりとした人は恰幅よくからからと笑った。
「なに、遠慮はいらないぜ。これはそこでの拾い物。うちの商品ではあらへんからな」
断言したぷっくりした人に押されて、お父さんはちらっと困ったように眉根を寄せた。
お父さんは優柔不断なところがだめだ、とよくお母さんに叱られている。
だからオレがしっかりしなきゃ。
ちょっと怖いけれども、その気持ちを押し留めた。
は、はい、と持ち上げられた球体を手に、オレは身を固くする。
すると、そうあることが自然だというように、花を揺らしながらそれは手のひらに収まった。
でも、なぜだろう。
これはここにいてはいけない。
そんな気がしてたまらないのだ。
「すみません、息子に」
「いえいえ、気に入っていただけたならなんぼでも嬉しいってことですわい」
がっはっは、とその人は豪快に笑った。
どうしても付きまとうオレの違和感を、大人は勘違いしたのだろう。
「ツキ、どうした?」
「あ、えっと、嬉しい、です」
「お、そうかそうか。喜んでくれたなら、渡したかいもあった、ってこったな」
もともと売りもんでもないしなーと、ぷっくりとした顔に笑顔が宿る。
「変なもんだけど、害はないと断言しとくわ」
「え?」
心中を見抜かれた気がして、心の中で警戒心が灯る。
「それは、――お守りみたいなもんだと思うからなぁ」
顎に手を当ててぷっくりとしたおじさんが目を細めると、遠くからお母さんの声が聞こえてきた。
父はそれに身体を震わせ、おじさんに礼儀正しく頭を下げる。
「本当に、ありがとうございます」
「いいっていいって。神々の遺産でもなさそうだしな、それ」
意味のわからない単語に、目をぱちくりとした。
すると、光の少ない屋台の裏側へと歩いてくる足音に、顔を上げた。
「待ってて、っていったのに、どうしてこんなところにいたの? あ、な、た」
「いや、その、あ、ははは」
視線をそらして、お父さんがなぜか助けを求める視線を向けてくる。
お祭りの会場からは影になる部分が多い。
だというのに、お母さんが怒っているのだけははっきりとわかった。
「笑い事じゃないわ。ったく、傭兵の勘でもなかったら、まだ探してたわよ」
おれはそういうお母さんを見て、そういえば、と口を開いた。
「さっきのおじさんは?」
「あれ、いない、ね」
お父さんと二人で辺りの喧騒を見回す。
そこには、お店を開いているはずのおじさんがいなかった。
まるで、きつねにばかされた、という言葉みたいだ。
「誰のこと?」
お母さんが首をぐるりと回しても、ぷっくりとしたおじさんが現れることはなかった。
手のひらに、冷たい変な置物だけが残っている。
本当のこと。
そう告げているようで、なんだで言葉がわかるのか、わからない。
何かしなければいけないのに、何をしたらいいかわからない。
「まあ、またいつか出会えるだろう。その時に、改めてお礼しよう」
「もぐ、何があったのよ、もぐ」
「お母さん食べるの早い」
「ツキも、ほら!」
両手がふさがっていたから、口の中に甘いものを突っ込まれた。
そして、それはふわりと溶ける。
「その変な置物? 買ったの?」
オレの手に乗る、球体に白い布を色とりどりに変えていく置物を見て、母さんは不思議そうに訪ねてきた。
やけに真剣な声で言うお母さんは、傭兵の勘を働かせているみたいに鋭い目をしていた。
「いや、貰い物だ」
「はぁ。まあいいわ。害は感じないから」
「何か知ってるの?」
「家に帰ったら、電子レンジ使うわ……」
その意味はわからなかったが、今はわかる。
電子機器が仕込まれていないか、確認するためだろう。
キルストゥの名は、今でこそ知ったが、東のある小国では王族殺しの一族として迫害されている。
高校生か中学生くらいに教えられたことだが。
それに母は、元々それに限らず傭兵だ。
未知の物に対する警戒心は、今では主婦だが、普通の人よりは何倍も強い。
「フォークは、知らないもんな」
十年も前の話だ。
未だにこれの本当の力はわからず、違和感だけがあるが、あのお祭りの夜を思い起こさせてくれる。
落としても割れないから、そのまま机に乗せている。
今思えば、不思議なことだらけだったが、幸せな時間でもあった。
そういえば、と。回想する。
フォークと四人でお祭りに行った時、フォークは幼いのに人と人の間を器用に避けて歩いていたな、と。
「フォークだけでも生きててくれて、良かったよ……」
もうキルストゥ姓は名乗れないとしても。
きっと。
今夜は家族四人で生きてきた日々を、思い起こす夢が見られる気がした。
「お兄ちゃんが子供の頃に買ったとかいうこれ、面白いよな―」
フォークは白い布をとっては戻し、を繰り返して、球体と布をかけて花を咲かせる玩具に触れていた。
両親も仕組みを知らない、不思議なもの。
それを大事にする、ベッドに横になってる兄を見つめる。
見られたら、触るなと怒られるから、彼が休んでいる間だけ自然と遊んでいる。
ギャンブルで食材とかお金とか稼いでる兄と、父や母が残してくれたお金で、フォークは学校に行けている。
ぎゅっと胸が締め付けられる。
軍人が、奪った平穏な生活を思い出すと、同時に泣いていた人を思い出して、早まる気持ちが止まる。
「ありがとう、だよね」
兄は定職につけてないから、大変だと思う。
だから、本当は料理の専門学校に行きたいフォークだが、就職したほうがいいのかと思うときもある。
でも、兄は、目標があるならそれに向かって頑張るべきだとフォークへ告げた。
「ぼくも何かできないかなぁ」
ほけーと考えながら、変な置物の頭上に咲いた花を撫でる。
まれに、つぼみになっているけど、それは珍しいこと。
今日はそういう気分の日ではないらしい。
「……? なんで気分なんて思ったんだろ?」
誰にともなく呟いて、窓から覗く星を見上げる。
「お父さんもお母さんもいないけれども。新しい、人たちが助けてくれてるよ」
目を閉じて、ふう、と吐息をつく。
「宿題も終わったし、あとは寝るだけ――」
学校の問題集は難しい。
でも、このくらいが普通だと言うのだから、世の中は理不尽だ。
ただ、体育だけは好きだ。
身体を動かすのは、お風呂に入ってるみたいで気持ちいい。
また、いろんな服を着るのも大好きだ。まるで自分が別人になったかのような、人には言えない違う自分を演じられるからだと、フォークは目を伏せる。
ふと、フォークは服のデザイナーだった父を思いだす。
今頃会社は、父がいなくても無事に回っているだろう。
金銭面については、知らない人だが親切な人がフォークたちを支えてくれている。
いろんな手続きはクルアが腕を振るってやっている。
彼は、罪滅ぼしだと言っていたが、フォークには理解できなかった。
「ぼくたちを、助ける理由があったんだよね、きっと」
なんとなく想像して、そういえば、と思う。
世間体というのもあるから、兄は仕事を探している。
「……ギャンブルって働いているっていうのかな?」
フォークは頬を引きつらせつつ首を傾げながら、枕のほうに身体を方向転換して、ぼふっと倒れた。
「料理くらいしか出来ないもんなぁ」
あとは、難しい勉強の嵐だ。
体育だけは、なぜかどんなことも吸収して、それ以上の結果を出してクラスのみんなを驚かせてる。
「キルストゥ……東の小国にある、王族を守っていた一族。今は指名手配されてるけど、ほとんどの国ではそれを拒否してる」
だから、母はエルニーニャ――父のほうに来たと言ってたっけ。
母は傭兵をしていた。
詳しいことは知らないけれども、昔聞いたことがある。
「この世に恨みつらみを残していった怨念。人類の驚異。それを祓うのが真のキルストゥの役目だ、と」
ぼくは手のひらを、天井に向ける。
「怨念は、時に星々――他の星、終わりを告げた地球からは星の光としか見えないものを媒介に、『神』として生まれ変わる」
それは遠い小国の伝承。
本当かどうかわからない、一笑に付す話。
「『神』は怨念を元に、地球を支配しようとしたり、いろんなことをしようとするから……キルストゥが、見つけ次第滅ぼす。滅ぼさなきゃいけない地球の異物」
荒唐無稽な話のようで、筋は通っている。
「長い間放置され、幽霊と言ってもいい怨念。それを依り代に、『神』は地球を闊歩している」
だが、星の光が、どうしてそんな害を持つのか、わからない。
そしてそれに気付いた、キルストゥも。
「そして神々お遺産を持つ者を増やして……」
「フォーク。あれは神だったものの残り香みたいなものだよ」
「わひゃあ! お兄ちゃん起きてるなら言ってよー」
「そのタイミングを逃したからな」
不敵に笑うお兄ちゃんに、ぼくは頬を膨らませた。
「もー、酷いな―」
「キルストゥじゃなくても、『神』は普通に死ぬって母さん言ってたろ? 父さんには内緒って言ってたが」
「うん……」
「怨念、幽霊から生まれる『神』なんて、バカバカしいとは思うけど、母さんはそれらを狩るために傭兵を受け継いだ、と言ってたろ?」
「まあ、うん」
「本当かどうかもわからないことだ。気にはなるけどな?」
「どうせまだ子供ですよーだ」
ぷいっとぼくは壁を見る。
お兄ちゃんの笑い声が響く。
「数光年の星の光を浴びて『神』になるなんて、三文小説でもない話だ。それに、オレたちには関係ない話だろ?」
「そうだけどー」
「なら、もう夜も遅いから、寝よう。フォークのサンドイッチ、楽しみにしてるからな」
「あ、うん!」
冷蔵庫に仕込んだサンドイッチを思い浮かべながら、ぼくはシーツの中に潜り込んだ。
そして思うのだ。
――この日々がどうか、続きますように、と。
「星空の星の光に、魔と結びつくものがある」
フードで顔を隠した、学生服のような制服を着こなしている月明かりで金髪碧眼の少年が呟く。
「怨念、幽霊などと呼ばれますが、言うなれば負の世界汚染。例えるならシミだ」
「それが遠い遠い、散っていった星々と結びついて『神』となる。キルストゥは事前にそれを祓うものだけど」
闇夜が電飾に侵食されて、あまり多くの星は見えない。
それは、都市の当たり前のことだった。
「で、――――は、いつまで座ってるんだ?」
「この星たちが、全部敵だったりするって、すごく非科学的」
おれは妹の言葉に、納得した。
「フォファーさんから話を聴いてもいまいち理解できなかったからな。てかあの人本当に教師だったのか?」
「疑い深いわね、――――」
同じ金髪碧眼、しかしまだ幼さを残している少女は、能天気な学生服の少年を睨みつける。
二人は息ぴったりに、星が散らばる世界の下で、言葉を交わしていた。
「仕方がないだろう。まだまだ諜報員としても、東の国に派遣されたこともないんだから」
「観光にはいったじゃない」
「あの時は仕事が滑り込みで入ってきたからおれだけいけなかったんだって」
仮にも軍人の端くれの少年は、観光前で浮足たった自身へ向けられた先輩の姿を思い出す。
応援に来てくれ、と緊急の連絡が入ったのだ。
退役した父が初めて旅行に行こう、と言った日に限って、事件は起きた。
突如、新入りの軍人が銃を手に軍のホール内で銃の乱射を始めた。
理由はわかっていなかったが、幸い死者はいなかった。
そして彼は、今刑務所でうわ言を呟いているという。
薬の痕跡なし、精神疾患と疑われているが、フォファーは断言した。
『あれは神様さ。精神疾患に見えるようにわざとうわ言を呟いてる。見てきたけど、演技上手だよね』
何いってんだこいつと思いはした。
「こっちでは神の存在は少ないらしいな」
「――――神様を殺すためじゃなくて、フォーク? とツキ? って人を守るために呼ばれたのよ」
「覚えてるけど、おれたちにとっては見知らぬ人たちだしな。ま、コンタクトはするなと言われてるし、夜に活動するなら、怪盗だろ?」
「アニメオタクになったお父さん知識で言わないで。恥ずかしい。馬鹿」
「さて、『神々の遺産』で夢渡りできるようになったんだ、これを使わない手はないな」
「はぁ……どうして馬鹿は治らないのかな」
「いやいや、神が悪さをしたんだ。これはふつうに国防のためだ」
「……そういうことにしておきましょう」
会話するのも疲れたという彼女は、はぁ、と深い溜息をついた。
「冷たいな! 相変わらず! 軍内一の冷徹女――いて!」
頭に手刀を落とした妹に涙目を見せながら、ぶつぶつと彼は眼下を見回す。
「とにかく、今日は下見に来ただけなんだから。私達の目が覚める前に、周囲を確認しましょう」
「うん、そこの闇夜が似合うお兄さん、敵意はないからね?」
いつからいたのか、金髪の少年は暗闇の中の人影に問いかける。
「……彼らの護衛は、頼まれているからな。部外者を見かけたんで、ちょっと挨拶に来ただけだ」
「そうか。ま、こんな時間に軍人がいたら、警戒して当然だよな」
「ちょっと!」
抗議しようとした妹に、人差し指を立てて安心しろ、と彼女の瞳に告げる。
「この時点では、おれたちは動かない。手出しはしないさ」
「ええ。あまりいても、迷惑なだけでしょうから。何も起こっていなさそうだもの」
「ほぉ」
茶髪を立たせている青年は、彼らの姿がゆらりと揺れる現象を見て、声を漏らす。
シーザライズは、苦笑いしつつ、彼らを信じることに決めた。
「確認だけしたい。ここにいるのは、キルストゥを殺すためか?」
「ん? 逆よ。守ってあげてって依頼なのよ、馬鹿兄が勝手に引き受けた、ね」
「ってことさ。またいつか、な、傭兵さん」
彼らはその言葉だけ残して、暗闇の中へ落ちる。
浮遊感はない。
実際には落ちてはいないからだ。
覚醒に向けた意識が、内心で少年に言葉を発する。
……フォファーと名乗った青年は、明らかに異質だったが、他に守り人いるじゃねーかと突っ込みたくなる。
異世界からの来訪者、フォファー。
世界から星のことを聴いたと言うが、今の所、半信半疑にしか、少年は思っていない。
なぜ星の光が怨念とかいうものを『神』に仕立て上げるのだろう。
まあ、国に仇なすものならば、少年は全力を尽くして排除するのみ。
そして、――――とともに、生きていくだけのこと。
不意に、見慣れた天井が暗幕をはぎとったように広がって見えた。
「今晩は、お疲れさま」
にこっと笑うのは、銀に近い黒髪の男、フォファーと名乗った男だ。
ベッドから降りると、妹も上体を起こして、黒髪の男を見つめていた。
それはまるで、獣の威嚇を思わせた。
「家の屋根には行ったけど、あれだけでよかったのか?」
「うん。君たち兄妹が生きているこの世界」
「並行世界とかそういう細かいこと、なんとなくわかるから意外なことを言ってくれ」
それを聞くと、フォファーは胸を張った。
「あの世界の君が、遠い未来に最悪な事態に襲われる。こっちでは妹さんがいるし、そもそも他の人の担当になるから問題はない」
「なら、関係ないんじゃないか?」
「それが、あちらの君は後に、『神』の生み出す天使になる」
「……はぃ?」
荒唐無稽すぎて、金髪をつんつんにしている兄は、黒髪にYシャツ姿の男の頭の中を疑ってしまう。
「天使は死なず。まあ、『神』が世界を支配するために、人間そのものを使った実験さ」
「おれは巻き込まれないのか?」
「世界に頼まれて、ここから動くことは出来ないから、おれには断言できないけど。君らは大丈夫。並行世界での話だし、夢として扱われるものだからね」
それが、世界自身の召喚だから、とフォファーは告げた。
「まあ、今回は顔ばれたってこともなかっただろうし、しばらくはなにもないと思うから、安心していいよ」
朝からきらきらと輝く、まさに教師と言える青年を睨みながら、兄は告げる。
「していいのか?」
「国のために、やることがあるでしょう?」
言われてハッとする。
妹は、兄の姿をしっかりと見つめて呟いた。
「ああ。ありがとう、フォファー」
「いえいえー」
「ところで、傭兵に会ったんだが、それは問題ないか?」
「世界が問題ないならおっけーおっけー」
さらりと告げる彼に、一抹の不安を覚える。
「あ……いやなんでもない」
「いや、そっちの世界でこんな夜中に起きてて護衛してるってことはさ、あの子らになにかあったと考えると」
そこで、フォファーはぴしっと人差し指を立てた。
「まあ、きみたちは不審者だと思われた。でも何もされなかったなら、ほうっておいても問題はないかと」
「そうなのか?」
「おれはあくまで『神』となる怨念とかが具現化に対応するほうが優先って約束したから。人と人とのぶつかり合いは、各々で判断して」
黒髪の前髪をかきあげて、平凡な顔立ちのフォファーは二人分の視線をしっかりと受け止めた。
ぷるぷると、兄の手が震えだす。
「殴っていいか?」
「先生を殴る生徒は問題児ですよー」
「いや、わざわざ他人を使うやつに怒りを覚えるし……」
「きみのこれからの話でもあるんだよ」
フォファーははっきりと言った。
「被害者にでもなるのか?」
「もうなってる」
「だから、手助けをする、ということね」
「うお、勝手に話に入ってくるなよ」
茶髪に近い金髪の少女は、軍の正装で身を固めていた。
「お父さんに気付かれてるわよ。言わないだけで」
「そうだね。まあ、危害がないと思われてるって思うさ」
こくこくと頷きながら、フォファーは兄と妹を交互に見た。
「勘がいいから、反逆者を集めて責任をとった、諜報員の長か。衰えないねー」
「秘密事項でしょそれ」
はぁ、と妹が頭を抱えた。
この男はまるで見てきたかのように、父親のことを語る。
それが嬉しい反面、不審さも倍になるのだ。
「階級は中将を剥奪された、表向きは退役、裏では反逆者の粛清をしたという……なかなかできることじゃないし、罪に問われてもいいのに免除された。いろいろ絡んでたんだろうね」
フォファーが目を輝かせてまくしたてるが、兄と妹はうんざりと顔をしかめた。
「親父が軍人してた頃は、軍のやり方に不満持ってた軍人も相当いたらしくてな。それらをぱっとまとめ上げて、自分の今後も考えずにクーデター起こしたんだ。表には出てないけど」
「フォアさんが言いふらしてそうね」
「フォファーだ。で、今はアニメ三昧のいいお父さんかー」
「まとめたかったんだろうな。軍人としての規律も守れない奴らの集まりが昔はあった、と先輩言ってたしな」
「退役という形をとったのは、まさか首謀者が高官だった、なんてバレたら国の面子が立たないからだろうしねー」
目を閉じて、指先を左右に揺らすフォファーは、すっと目を開いた。
「軍事国家の悩ましいことね」
はぁ、と妹がため息をついた。
「反逆がありました、なんて公にはできない。管理が行き届いていないと知れ渡ってしまうから。スケープゴートになったわけ、か」
「だからあまり、軍人だった頃の話はしないんだな」
「だろうね。息子娘に迷惑かけたくないだろうし」
さて、とフォファーは兄妹を見回す。
「そろそろ行くよ。それじゃ、またね」
「ああ。そうしてくれ。できればあまり会いたくないな」
兄の棘を込めた返事に、フォファーは大変だね―とのんきな声を出した。
「並行世界の夢を見る時はまた来るから。でも、しばらくは行くことはないから、普段の仕事、頑張ってー」
「暇じゃなかったのか?」
「本気で暇だったら、昼間に面会に行くよ」
なにを昼にやるのだろう。
兄は問おうと口を開いたが、寝起きのせいか考えがまとまらない。
あっという間に、フォファーの姿が霞のように消え去った。
「これからは大変ね」
「だな」
でもこれも国のためならば。
兄は、どんなことでもやり遂げようと胸に誓う。
そう、決めたのだ。
「じゃあ、今日もお仕事頑張りましょう」
「ああ、そうだな」
バタンと妹が勢いよくドアを閉じ、兄は金髪を揺らしながら目を伏せる。
「国のため、か」
兄は、どれだけ自分の行いが、それに貢献できているのだろう。
そんなことを思いながら、窓から差し込む朝陽に、ぎゅっと手を握りしめるのだった。