第6話 ツキとクライス

「ほ、本当に……受かった?」

 オレは、昼間の晴天の下、番号が書かれた紙を見て、震えていた。

 朝早くに家を出たので、最前列で入隊のための試験合格発表を見に来た次第た。

「良かったねー」

 と、フォアさんが人混みの中、笑みを浮かべた。

 ローブ姿がこの中では異質ではあるものの、そこまで浮いてない。

 周囲は中高生みたいな人ばかりでちょっと恥ずかしいが。

「でも、これからが大変だよ、ツキさん」

「だなぁ。人探しって初めてだから」

「いや、軍は軍隊だから、まず試験通ってもその後基礎訓練とかいろいろあるらしいよ」

「……」

「もしかして、考えてなかった?」

 フォアさんの呆れ顔に、オレは答えられない。

 人探しを目的にしていたし、入隊試験も意外と運が良かったのか、簡単なテストで済んだせいだろう。

 即軍で働くのかと思っていたが、そういえばテレビの特集で、入隊後の訓練を見たことがあった気がする。

「さすがに、訓練って楽じゃないですよね?」

 ローブ姿の付き添い人は、目をそらす。

「たぶん、軍人になる理由が人探しって人、ここではツキさんだけだと断言できるよ」

「いや、だって……」

「わざわざ軍人の試験受けるより、軍の受付で調べてもらったほうが良かったのでは?」

「そう、なんですが。それだけ、じゃないから」

 言葉を濁しながら、母さんを思い浮かべる。

 ――生き方に芯が通っていた、強い母さん。

 そして、たまに顔を出してきた傭兵の人々を、思い浮かべる。

 ――今度こそ守ると決めてくれた、強い縁なんて薄いのに人生を使ってくれている人。

 なにより、弟の茶髪に明るい笑顔が、オレの背中にそっと手を置いてくれた気がしたから。

 いつまでも、情けない姿を見せ続けるほうが、悪いと思うから。

 母さんには、謝らないといけないけれども。

「ま、受かるってことは、ツキさんにとっても良いことに繋がると思うよ」

 不意に、フォアさんが顔を上げて笑みを浮かべた。

「そうかぁ?」

「いや、不真面目というか、情けないから絶対他の軍人にその理由は言っちゃだめだよ」

 フォアさんが、埋もれない程度の声量で忠告してくる。

 顎を引くと、ならいいや、と彼は合格を知らせる看板を見つめた。

「家は軍から近いけれど、しばらくは寮生活だね。というか、普通は寮での生活なんだよ」

「えっ」

「シーザライズがね、元々軍人やってたんだ。で、三ヶ月間基礎訓練してって感じだったって。それから適性によって分かれるらしい」

 よく知らないけど、とフォアさんは目を逸らし、んーと、空を見ながら告げた。

「まあ、頑張って! フォークくんはしばらくリタルさんが仕事サボって護衛に専念するって言ってたから!」

 ひまわりのような満面の笑みを浮かべた彼に、オレは言葉を失っていた。

「しかし、学校の仕事はするらしいけれども、農協の仕事はサボるって凄いことなんだよ!」

 まだ続きそうなフォアさんの言葉の洪水を右から左に流して、オレは手元の番号札を見る。

「ここは、そこまで……厳しく、ないよな?」

 そうそうと降り注ぐ日光に、祈りを込めてオレは呟いた。

 

 

 

 資料室。

 日の光を遮っているため、常にカーテンがしかれており、蛍光灯がらんらんと室内を照らしている。

 エルニーニャ軍中央司令部の中でも、未だに紙の書類ばかり収納されており、時には窓際とも呼ばれている場所だった。

「ふーん。ツキ・キルアウェートか」

 一人の新米軍人の名と履歴が書かれた書類を手に、おれは目を閉じて情報を整理する。

 弟の名前、フォーク・キルアウェート。

 茶髪の少年で、両親を他国の軍人に殺された被害者。

 元の名は、他国で犯罪者とされているキルストゥ、だったという。

 先輩からの情報を思い返しながら、おれは薄っすらを目を細めた。

 だが、今は姓が変更されている。

「キルストゥは、ある国では賞金首だよん、クライスくんー」

 くるくると髪をいじりながら、媚びた声音――声優のような声で、軍服に似合わない赤い長髪の少女は言った。

「姓の変更は親の死が原因だし、別におかしいことではないん、だ・け・ど?」

 並の男なら一発で堕落へ誘う声に、クライスはいらついて振り返る。

「ショートケーキ、お前らなんでここにいるんだ!」

 広告課の中でも軍内外の広告で、ラジオ・テレビなど軍人の良さと国への貢献度をアピールする狙いで組まれた『ショートケーキ』という偶像の女子ら――二人組は、妖艶に目を細めた。

「名無しくんから頼まれて」

「クライスくんの、監視ー」

 上官の名を耳にし、苦虫を噛み潰した気分になる。

 なんでアイドルのような二人組をよこしたのか、嫌がらせかと内心で舌打ちする。

「あの時、クライスくん、妹さんと近くにいたんだもんね」

「なんで、知ってる?」

 クレイン――妹であり、事務系の仕事方面を担当している愛しい家族を思い浮かべる。

「だめだよ、こういう時はいやー、手元が滑ってここにいますーって言わなきゃ」

「じゃないと、名無しくんは騙せても、あの方は騙せない。正直すぎるのも考えものね」

 姉妹のように口ずさむ二人に、おれは口を閉ざした。

「キルストゥのことはよく知らないけど、事件に巻き込まれた兄がなぜ今頃になって軍に入ったか。気になるんだー」

「案外、たいした理由ないと思うけど」

「お前らには、わからないさ」

 あの時、悪寒がした。

 遠目から事件現場に、たまたま同じ日に非番だった妹と見に行った人混み。

 そこで見たのは泣いていたローブ姿の男と。

 抱かれていた少年の目に宿っていたのは、底なしの、無だ。

 あれは一歩間違えれば、害を与えそうな、そんな悪寒を覚えるほど昏い、けれどもなにも見ていない目だった。

 そして軍には、もうほとぼりが冷めきった頃に、泣いてさえいなかったあの子ではなく、兄が来た。

「……試してもお前達は困らないだろう?」

「えーと、殺しはなしで」

「入隊させたんだから、使えるまで馬車車のように働いてもらう予定なんだけどね」

 事情を知ってて、合格させたのか。

「上の考えてることはわからないからねー」

「ああ怖い怖い。こんな話、してなかったって名無しくんには言っておくわ」

 悪魔的な絵になる二人に、おれは感謝すべきか余計なことはするなと言うべきか迷う。

「それじゃーねー、クライスー」

「あんまり変なこと考えちゃ、駄目よ?」

 と言葉を残して、女子二人は手をひらひらと振りながらドアノブをひねって行った。

「あいつら……」

 軍の広告塔。そんな彼女らは各地を行き来しているため、司令部にいることは珍しい。

「なにしに来たんだ、っておれの監視か」

 本当に、国のために入隊したのか。

 弟ならわかるが、彼は学校に通っていたはずだ。

「――国に仇なすものなら、芽は刈り取っておくに限る」

 だから、独断でツキ・キルアウェートを試しても、文句は言われまい。

 おれは心の中で呟くと、作戦を頭の中で練り上げた。

 

 

 

「今更学生服って、緊張するなぁ」

 正規の軍服をまとって、オレは色とりどりの髪の先輩たちを見ていた。

 金髪の女の子や色とりどりの髪の年下の子ばかりが結構いる。

 ……ギャンブルの町で、アイスが手軽にそういう学生服の軍人たちと挨拶していたのを思い浮かべる。

 今は自由時間。

 曹長、っていってもどれだけ偉いのか、さっぱりわからん。

「うーん、金髪の人……あちこちにいるし、片っ端から声かけてナンパ男と思われるのもなんか嫌だし……」

 しかも、入隊してもう任務とかついてる人だろうな、とリノリウムの床を踏みながら歩く。

 いかに浅はかな考えで入隊した――いや、入れたな、とオレは反省する。

 そりゃあフォアさんも呆れるわな。

 しかも三ヶ月は寮生活と来た。

 運良く実家が十数分弱で真っ直ぐ来れるほど近い場所にあるので、仮住まいだ。

 キルストゥだということは、口外しなければバレることもないとは言われたかな。

「リアさん、さすがですねっ」

「偶然よ。それに、治安維持も軍人の仕事でしょう?」

 若い――いや、オレが入隊できたのも年齢からしてぎりぎりだったが――女の子の明るい会話に、思わず振り返る。

 なぜか、騒がしい軍の中で、その会話だけはっきり耳に届いた。

「あ」

 呆けた声が出た。いや、出てしまうのは自然だ。

 なんか、流れができているホールの奥に、人垣ができている。

 金髪の長い髪の女性――というか、女の子と、黒髪の同じく長い髪の少女たちがいた。

 なにより、聞こえてくる会話が――。

「学生の子が襲われてたのを助けただけ。彼、大丈夫だといいんだけれど」

「事情聴取で賭けに負けて憂さ晴らししようとしてたんだろ? 自業自得だ」

「もう二度とそういうこと出来ないように躾しましたしー」

 四人の男女の話に、オレは釘付けになっていた。

 どうみても階級はオレより上だ。

 しかも親しい仲なのが伺える。

 手に汗がにじむ。

 今、行くしかない。

 それはわかっていても、足が動かない。

 視界には出入りする軍人たちと彼らが立てる音しか聞こえない。

 こんな天啓のようなタイミング、もうないかもしれない!

 ――フォークの、とびっきり破顔した顔が思い浮かんだ。

「あの!」

 その場から立ち去ろうとしていた彼らの背中――いや、金髪の女の子に向けて、叫んだ。

 視線がオレに集まる。

 そりゃそうだ、階級も下、訓練生と言える立場のオレに、突然声をかけられたらその場の人は何事か驚くだろう。

 不思議そうな目で、金髪に整った顔が美人の女の子と、黒髪にくりくりした目の少女と、同じ黒髪の少年と、銀髪の青年の四人の瞳がオレを射抜く。

 う、けっこう怖い。

 なんというか、軍人になるなと言った、母さんが放つような空気を思い出す。

 人を、殺したことがある人の目というか。

 アイスの関係で、そういう人の目は慣れてると思っていたが、決意が違う、覚悟が違う。

 けれども、オレだって両親を失ってから、少しは成長してるはずなんだ。

 気圧されちゃ、ここではやっていけない。

 深呼吸して、オレはこの場の中心になったことを理解した。

 視線が痛い。

 メインは声をかけた人たちだけれども、周囲の空気もなぜか突き刺さる視線を感じる。

 一筋の汗が、頬を伝う。

 震える手を押さえて、言うべきことだけを言って、立ち去る。

 黙ったままなら、意味がないのだから。

 心の中で、気合を入れる。

「あの、その学生、きっとオレの弟なんです」

 他の三人の顔を極力見ずに、金髪の女の子の顔だけ見る。

 驚きに瞳が開いている。

「だから、ありがとうございます。助けてくれて」

 そう、これさえ言えれば、もう軍にいる必要はない。

 ないのだが――。

「そうだったのね」

 ふわりと、言葉の質が、羽毛のように変わる。

「今は、無事なのかな」

「あ、はい、護衛もいるので大丈夫だと思います」

「なら良かった。ところで」

 すっと、視線がオレの胸元に吸い込まれる。

「あなた、名前は?」

「えっと、ツキ・キルアウェート軍曹です!」

「うん、覚えたわ。それと、そっちの子はその子なのかしら? 軍人じゃないみたいだけど」

 指摘されて、オレは振り返る。

 茶髪に同じ色の瞳で学生服をしっかり着ている。

 いるはずのない人が、そこにいた。

「え?」

「ここまでは一般人も入れるんだよ、ツキ」

 ふふっと、ショッピングモールで買っただろうお詫びの品を手に、尖った茶髪に手提げのお土産を持った。場違いさがある青年、シーザライズと。

「お、おおおおにいちゃんがぶぶぶぶれいなのはお許しくださいいいいい」

 めっちゃくちゃに緊張して、茶髪で二本のアホ毛から足先まで震えている弟のフォークがいた。

「ふふ、面白いわね、あなたたち」

「あ、えっと、こっちは弟のフォーク・キルアウェートです」

 オレが説明すると、横に手を動かして、面倒そうな顔を崩さない護衛に視線を上げる。

「傭兵のシーザライズだ。ったく、フォアめ逃げやがって」

 ちっと舌打ちすると、シーザライズはフォークの頭に手を置く。

「ほら、いつまでも緊張するな。入る前まで殺気振りまいてたくせに」

「だだ、だって、皆同じ制服姿で……思ってたのと違ってて……」

「わたしはリア・マクラミー。学校はどうしたの? フォークくん」

 びくっとフォークが震える。

「あー、もう昔、でもないか。軍人嫌いなんだよ、こいつ」

 シーザライズは横目でオレにどうにかしろと振ってくる。

 いや、無理。

 フォークの軍人嫌いの原点は、両親が他国の軍人に殺されたからだ。

 それ以来、軍人を避けて生きてきたふしが強い。

「とりあえず、フォーク。この女の人で合ってるか?」

「う、うん、いえはい、あの時は助けていただき、ありがとうございました」

 ペコリ、と最敬礼で頭を下げるフォーク。

 なんか、周囲の正規の軍人などの目が痛い。

 なぜだろう。

「どうかしましたの?」

 不意に、綺麗な声が届いた。

 オレが顔を上げると、リアさんたちの向こう側、同じく金髪にウェーブをかけた少女が目に入った。

「リルリア准将!」

「お構いなく。あら、場を荒らしてしまったかしら?」

 お姫様オーラが半端ない少女は、ふわりと微笑んだ。

 というか、彼女は軍服でなく、白いドレスを着こなしていて、貴族と言われたほうが納得がいった。

 本当に、色んな人がいるんだな、軍って。

「皆さん、そろそろ休憩は終わりです。そしてそちらの方」

「あ、用件は終わったので、出るのでおかまないなく」

「もし、その手提げ袋の荷物をお渡ししたい場合は、受付を通してくださいね」

 ふわりと微笑んで、リルリアさん――いや、少女としか思えないが――に、シーザライズさんは一言、頷いた。

 まるで学校のチャイムのように、休憩を終える音が鳴る。

「訓練、頑張れよ」

 ぽんと、シーザライズさんはオレの肩を叩く。

「では、わたしたちも外周りに行きますので、これで」

「お菓子なら、あとで食べますからー!」

 黒髪の少女が、振り返って元気よく答える。

「わざわざありがとうございます」

「すぐにいただけないのは心苦しいですが」

 男性陣にも言われて、オレは階級社会の視線の痛さから逃げたかったので、軽く頭を下げるだけにした。

 そして、四人組が外へ出ていく姿を見送ると、つまらなさそうな傭兵と、なぜかいるフォークを見た。

「ツキも、訓練は無事にこなせてるようだな」

 シーザライズさんの言葉に、そういえばこの人は軍出身だったと、誰かから聞いた気がする。

「お兄ちゃん、その、ごめんね」

「フォークが謝ることないだろう?」

 オレは瞬きを繰り返すと、えっと、と思っていたら、急にシーザライズに背中の服を引っこ抜かれていた。

「フォーク、受付で菓子渡して帰るぞ」

「は、はいっ!」

 ばっと顔を上げると、フォークがシーザライズに連れられて一般人用の出口へと向かうところだった。

「あ、オレもいかないと!」

 途中まで受付に行く二人を見届ける。

 あの軍人嫌いのフォークがわざわざ来るほどだ、よっぽど迷惑かけたことがしこりだったのだろう。

 オレはそんなことを考えながら早足で、弟たちと反対側――訓練場へと向かったのだった。 

 

 

 夜の空は、曇っていた。

 星の見えない空は、寂しく感じる。

「んー」

 寝室でぱたぱたとベッドに座りながら、ぼくはいつもならお兄ちゃんが寝ているベッドにいる、フォアさんと向き合っていた。

「お兄ちゃん、訓練終わるまで寮だっていうから、ぼく心配だな」

「ツキさんは運が劇的にいいから、心配することはないよ、フォークくん」

 と、フォアさんがお兄ちゃんの大事な置物を触りながら言った。

 なんとなく、嬉しそうな顔をしている置物に、小首を傾げる。

 気のせいかな。

「でも、なんか、嫌な予感がするし……」

「フォークくんがそう思うなら、一般人のぼくには感じない何かが起こるのかもね」

「フォアさん、一般人?」

 なんとなく、違和感を覚える。

 今はローブのフードをおろしているから、素顔が見える。

 好感がもてる、笑顔が素敵なぼくを助けてくれた人。

 なんだけれども、違和感というものが頭から離れないのだ。

「うん、完全に人間になってるからね。そういう意味で、未来予知も過去視もできない。直感もないからね。フォークくんのほうが当たるよ」

「ぼくの勘、そんなに当たらないよ」

「今はそうなだけ。ぼくが会った時のきみは、――激情に任せて一人で悲しんで、人を殺めすぎたから」

 囁かに、でも届いた言葉が、おかしい。

 ぼくが、一人?

 確かに、お兄ちゃんがいなかったら、きっとすごく寂しい思いをしたと思うけど。

 でも――なんとなく。

 かすかな可能性だけど。

 フォアさんがここにいる理由だけど。

 お父さんたちが殺された時、ぼくは何を思っていただろうか。

 抱きしめてくれて、泣いてくれたから、ぼくは今ここにいる。

 そうでなかったら?

 あの時湧き上がった感情を思い出すと、なんだか自分が自分でないみたいな気がして、フォアさんを見る。

「フォアさんは――」

「恩返し」

 聞こうとしたことの答えを先に返されて、ぼくはうう、と言葉を失う。

「シーザライズにも感謝しないとだめだよ。彼がいたからこそ、この奇跡は起こった」

 まあ、レリアの件がなければ、フォークくん一家はここにいないけどね、と苦笑される。

「レリアさんって、王族に」

「家族を殺された人。家で待っていた魔――『神』にそそのかされて、王族を殺しまくった女の子だよ」

「えっ、女の子なのに、そんなことできたの?」

「キルストゥには二人にそれぞれ役割がある。それも、偶然、特定の性質を持つ呪いみたいな祝福が」

 フォアさんは、お兄ちゃんの置物を大切になでながら、ぼくに告げた。

「赤は怨念を殺害、致命傷を負わせることで怨念を身体ごと祓う者。逆に、青は怨念だけを祝詞で還すことでその肉体をも消失させる者。どちらも、世界を支えるのには大切な役割だった」

 うーん漫画の設定のような、話だと思った。

「ぼくは、そんなの」

「うん。関係ないって言いたいだろうけど、きっと心当たりはあるよね」

 軍人さんがたくさんいたあの場では感じなかった。

 でも、ぼくは、助けてくれた軍人さんに最初会った時、どう思っていただろうか。

 それを考えると、フォアさんの言いたいことが、わかってきた。

 ぼくは、体育が得意だ。

 ぼくは――。

「赤、なの?」

「うん。最初は、別のことで驚いちゃったけれどね」

 苦笑するフォアさんに、ぼくは荒唐無稽な話にも聞こえていた。

 でも、フォアさんが話していたこと、レリアさんが怒りに任せて王族を殺していたこと、なんとなく、理解できる気がした。

 大切な人を奪われたから、ぼくは軍人さんが苦手になったわけだし。

 だから、言葉が自然と漏れた。

「止められなかったの?」

 残酷な問いだと、言ってから気付いた。

「邪魔されちゃった」

 悔しげな声に、ぼくは目を丸くした。

「ぼく、フォアはね、今はただの人間なんだ。シーザライズが人間にしてくれているから」

「あ……」

「人間じゃない状態で、干渉はできなかった。今回、この世界では」

「じゃあ、でも」

「フォアは世界の魂。と同時に、人間だったフォファーという人の魂でもあった。分離したけどね」

 遠き亡き友を傷むように、フォアさんは目を伏せた。

「きみのお兄さんは、この子を助けてくれたし、大事にしてくれた。助ける理由は、それだけだったんだけどね」

「今は、それ以上の、何かがあるの?」

「うん! しばらくはツキさん帰ってこれないだろうけれども、ぼくらが側にいるから」

「……うん」

 でも、守られてばかりでよいのか?

 赤。キルストゥの赤の話は、お母さんもしてた時があった気がする。

 最初は身体能力が低くても、魔である怨念の具現化した『神』を殺すためならばどこまでも強くなる、ファンタジーのような人。

 誰がなるかは決まっておらず、けれども必ず代替わりし、赤と青は共にある運命だと言ってた。

 映画かなんかの宣伝みたいだと思っていたけれど、フォアさんの話と重なって、フィクションではないことを示していた。

「お兄ちゃんは、赤じゃないなら、青、なの?」

「たぶんね。運の良すぎさはちょっとわからないけれど、まだ力は出ていない。ま、気にすることじゃないけどね」

 そう言って苦笑したフォアさんは、そろそろ寝ようとシーツにくるまる。

「置物、一緒に寝るの?」

 それは、お兄ちゃんが子供の時から一緒だったという大切なもの。

 ぼくには大きくなるまで、手の届かないところに置かれていたものだ。

「これは、魔法だからね」

 本当のことを言いながら、フォアさんは目を閉じた。

 その横顔に、助けられる。

 今はまだ学生。

 でも、負け犬だ。

 学校の成績もよくないし、フォアさんがいう、赤とか言われてもピンとこない。

 ――だから。

「今日みたいな平穏な日が、続きますように」

 中央司令部の一般人まで入れた――本当はいけないらしいと後で聞かされた――ロビーを思い浮かべる。

 たくさん、ぼくと同い年みたいな子らがいた。

 ぼくは、お兄ちゃんがそんなところでやっていけるか、心配だ。

 年齢に対して、お兄ちゃんは年をとりすぎているから、浮かないか、とかお父さん似だから人を傷つけることは苦手だしな、とか。

 いろいろ考えると不安しか湧き上がらないから。

「お母さん、お父さん、お兄ちゃんを、見守っててください」

 小さく呟いて。

 目を、閉じた。

 すっと眠りがぼくに襲いかかり、いろんなことが幻のように、意識が落ちた。

 

 

 

「うーん、こんな町外れに何の用だろ?」

 オレは、薄暗い明かりの中、北区の端の教会へ歩いてきていた。

 寮の部屋にそっと入っていた手紙は、ツキ・キルストゥとなっており、ひやりとした。

 その名前は、苦い思い出を誘う。

 そして、まるでわかっていたかのように外出許可証とここまでの地図が入っていた。

 軍人の育成というのは、そういうのがふつうなんだろうか?

「まあ、シーザライズさんが近くにいるから、万が一もないと、思うけれども」

 さりげなく、フォークと来た時にそっと服に入れられていたメモを思い出す。

 キルストゥとして狙われるかもしれないから、一応夜はお前についている、と。

「しかし、なにもない道だなぁ」

 空を見上げると、曇りの夜だからか、街灯がないと心なしか寂しい道だ。

 街灯に照らされて、天上は白さを浮かび上がらせている。

「――っ!」

 とっさに、前に跳んだ。

 思考するより早く、身体が勝手に動いた。

「ツキ・キルストゥ」

 不意に、幼さの残る少年の声がした。

 聞いたことはない。

「試させてもらう」

 何を? と問う前に、思いっきり体当たりされる。

 オレの身体は地面に打ち付けられて転がる。

 痛い。

 でも、これが――母さんが入るなという理由だったのだろうか、と薄っすらと思った。

 母さんはよく喋っていた。戦うことの無意味さを。

 父さんはよく優柔不断だの、情けないなど、そういった評価を。

 でもある日、父さんは、顔を腫らして帰ってきた時もあった。

 母さんが後日友人に頼んで成敗したと言っていたが、父さんはとにかく、荒事に巻き込まれて、怪我することも増えたと言ってたっけ。

 でも、けっして笑顔や穏やかさを失わなかった。

 母さんも、そして子どもであるオレたちも、愛していた。

 武力はなくとも、弱々しく見えても、母さんを恋に落とすくらいの強い人だったんだ。

 オレは、甘やかされているから、今こうなって地面に転がされているんだ。

 軍人にはなるな――今頃、その意味を正式に理解できた。

 理不尽なことがある。

 負ければ死ぬこともある。

 だから、勝ち続けなければならない。

 死なないために。

 理由は様々だろうが、勝つこと。それが、何より生きることだからだ。

 今更軍に入ったことを後悔しても遅い。

「その程度か?」

 気配なんて感じない、少年の苛立った声に、そりゃあな、と思う。

 殺される気がないからだろうか。

 近くにいると思うシーザライズさんが何もしない。

 そうか。

 ここは、男らしく、自分の力で戦わねばならないんだ。

 そう教えてくれているようだった。

「護身術はアイスのボディーガートに習った」

 とはいえ、体格的に大きいオレを吹き飛ばせる実力者だ。

「オレは、死ねない」

 相手との実力差を知ること。

 母さんが、口をすっぱくして言っていたことだ。

 そして、こうなった時の対処法は。

「うおぉおおおおおおおっ!」

 廃れた教会を、身も知らぬ相手を背に、オレは来た道をひた走る。

「――弱い」

 呆れがこもった声が背後からした。

 声変わりのしてそうな、それくらいの年齢だと思った。

 そう、オレは弱い。

 でもそのままでいいと、母さんは言っていた。

 父さんは、オレに強くなってほしいと思っていたらしいけど。

 でも二人とも一番言っていたことを思いだす。

 ――死ぬな、と。なにがなんでも利用して、生きろ、と。

 話半分で、居間で聞いてきたことを思い出す。

 フォークからは、生きてて欲しいと、願われていた。

 人が生きるために、自分の力でどうしようもない驚異から逃げるのを、誰が止められよう。

 相手はきっと、百戦錬磨の軍人だ。

 銃とか使わないところを見ると、手加減はされているようだが、オレは生きるために、ここから去る。

 生きることが、勝つことなのだから。

 母さんなら、そう言うだろう。

「本当に、キルストゥなのか?」

「そうだぜ、少年」

 聞き慣れた声に、足が止まる。

 振り返ると、人影が二人いた。

 オレがさっきまで転がっていた場所に、シーザライズさんがいつの間にか立っていた。

 気配なんて感じなかった。

「でもその名はもう捨ててあるんだ。あまり辛いことを思い出させるな」

 穏やかに、シーザライズさんは言った。

「国に反逆した一族だろう? それに、おれの標的は」

 言い掛けた瞬間、油断を貫いて少年は跳んだ。

 シーザライズさんは、いつの間にか太い棒を持っていた。

「なんの、手品だ――?」

「国のために人殺し、ってのは軍人じゃ当たり前。お前、暗部のほうがメインの子だな?」

「それで?」

「独断で突っ走る悪い子は、おねんねしてな」

 瞬間、シーザライズさんが少年の軍人へ接近していた。

「な――っ!」

 まるで手品のように、シーザライズさんは獣のような、余裕の笑みを浮かべていると思う。

 そして、少年の側頭部へ、棒をぶちこんだ。

 ざざっと、吹っ飛ばっされる彼を見て、オレは言葉を失う。

「ったく、先走って。ツキ、家に戻るぞ」

「え? でも軍にいないと」

「そこは、この少年がなんとかするだろ。仮にも暗部所属なのに、先走るなんて、自殺行為だぞ本当に」

 ひょいっと、軽々とシーザライズさんは少年を抱え上げて、オレの横にいた。

 いつの間にそこまで移動していたのか、目を見張った。

 オレも身体が痛いが、歩けないほどではないのでその横に並ぶ。

「最近、この辺で悲鳴が聞こえると噂だ」

 初耳だった。

 この辺は、あまり来ないからそんな噂など知らなかった。

 敵に回したくないな、という感想に、冷や汗がこぼれ落ちた。

「本当なら、ツキがどこまで耐えれるか見てる予定だったが、嫌な予感がしてな」

 早く終わらせるために、彼は乱入した、と言っている。

 そういえば、手にしていた棒がなくなっていた。

「あの、さっきの棒は?」

「教会に捨ててある」

 いいのだろうか、と思いつつ、オレは言うべき言葉を口にした。

「ありがとうございました。助けてくれて」

「んなの気にしないさ。元々俺のせいでキルストゥは――」

 不意に、シーザライズさんが止まる。

「あれ、歌声?」

 こんな夜に?

「誰かが練習してるんだろ、行くぞ」

「あ、はい!」

 近所迷惑、とは思わない不思議なほど魅力的な歌声に、なぜか、不快感を覚えて。

 教会から、フォークのいる家路へついた。

 

 

 

 ――よくあるリビングで、ソファに座っていた。

 まるで他人事のように、それを、その時を見ている自分がいた。

「国のために、軍人を目指すのか」

 テレビを見ながら、親父が言った。

「クライスの馬鹿は頭だけはいいから、なれると思うよ」

「と言いながらなぜ二枚も学校入学の紙があるんだ?」

 親父が妹である金髪のクレインを見て、問うた。

「クライス一人だけだと心配だから。軍学校に入って、馬鹿兄を鍛えるのは、私の役目だもの」

「そうか……クライス、本当に国のために、入るなら止めはしない。見栄ではないみたいだしな」

「親父だって、軍人だったんだろ?」

 テレビから目をそらさず、親父は淡々とおれに言った。

「もう昔の話だ、忘れた」

「親父はなんのために、軍に入ったんだ?」

「忘れたと言っただろう」

「……でもまだ仕事はできたんだろ?」

 退役した理由は知らない。

 いつもはぐらかされる。

「アニメ見てるほうが、幸せだと知ったからな」

「でも……生活費どうしてるんだよ」

「どうせ答えてくれないわ、クライス」

 気の強い妹が、呆れたように告げた。

「軍に入隊するための、学校にいくのはいい。金も出す。だが、一つだけ忠告だ」

「なんだよ」

 不意に、父の瞳に――今思えば、殺気だろうものが宿った。

 ぞくりと、背筋が凍った。

「軍の狗にはなるな。使うのではなく、利用しろ。クレインは心配しないが、クライスは誰にそそのかされたかは知らんが、国のためならなんでもしそうだからな」

「でも、軍人は国の言いなりになるもんだろ?」

「そう思っているうちは、使い潰されるぞ」

「あなた。あまりクライスをいじめるのはやめなさい」

「う……だが、なー母さん、軍人とは国のためにあるとはいえ、自分の力を過信しては命がいくらあっても足りない場所だ」

「お父さん、退役してからテレビ見すぎて思考力下がったんじゃない?」

 妹の鋭い指摘に、親父は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「クライスの言うこと、悪いことじゃないんですから。でも、誰かを守るために軍に入る人も多いのよ?」

「誰か、なんていない。国こそ、人を守る砦じゃないか」

 おれが当たり前のことを言うと、親父はじっとおれの目を見てきた。

 まるで、試されてるようで、視線を逸らした。

「この頑固さ、良い方に回ればいいが……」

「父さんみたいに、怠ける人にはなりたくない」

「……それは理解できるけど、馬鹿兄」

「怠けられるほど、頑張ったからな。―ーまあ、クライス、お前の言うことがどこまで本気か、結果を待とう」

「もう、あなた。あなたは死ぬほど頑張ったんだんだもの。息子たちの頑張りを応援しましょう?」

 母さんの言葉に、父さんは納得行かないようではあったのか、しぶしぶ首を縦に振るのだった。

 

 

 

 キルストゥ。

 試したかった。

 国のためなのか、それとも――国を危険に晒す者なのか。

 見慣れない天井に、おれは夢を見ていたんだ、と気付く。

 軍人になる前の夢だ。

 懐かしさを思い起こされて、おれはじっと天井を見つめた。

「ここ、は?」

 記憶が混濁している。

 自宅ではない。

 昨日――ツキ・キルストゥ――今はキルアウェートだったかを偽の許可証で無理に外へ連れ出した。

 それから――。

「しっつれいしまーす」

 ノックとともに、中性的な声が聞こえた。

「クライスさん、だっけ、起きてますー? 朝ごはんできたので、一緒に食べませんかー?」

 てこてこと、無防備に歩いてやってきた姿に、思考が止まった。

「ぼくはフォークです。お兄ちゃんが昨日迷惑かけたみたいで、ごめんなさい」

 言葉が、出ない。

 瞳の奥に見えた、人を殺めたことのない色。

 国を守る。

 それは、彼女みたいな人を守るための戦いなのだと、気付かされた。

「……あの、病院、行きます? シーザライズさんが思いっきり頭打ったとか言ってましたし……」

「クライス、です」

 茶髪に茶の目、額まで見せつつ、ピンクのカチューシャに花が咲き、フリルがついたエプロンに、違和感を憶える。

 フォークと名乗った少女――が、目を見開いた。

「え?」

「クライス・ベルドルードといいます。フォークさん」

 なぜかその姿に、守りたい、という気持ちが湧き上がる。

 誰より守りたい。

 国というもののために、生きて死ぬんだと思っていた牙城が、崩れていく。

 でも、その国の一つのものが、フォークさんで。

「頭は大丈夫です。それと、おれが」

「目が覚めたか、軍人」

 夜に髪の色が見えなかったが、茶髪の大男がひょこっと顔を出す。

「あ、シーザライズさん、お早うございます。珍しく早いですね」

「まあな。護衛だし。――クライス、お前、さっさと戻れ。軍には連絡してあるから、細かいことはそっちで報告しな」

 フォークさんとシーザライズとかいう男――あの時ツキを守っていただろう者が、気楽に言う。

 どうしていいのか、おれは迷った。

 独断で軍の規則も破ったのだ、なにか言われても文句は言えない。

 不安げに、フォークさんが眉を寄せる。

「気を張り続けても、良いことないぞ」

「そう、ですね」

 何にしても負けたのだ。

 言うことに従うのが筋だろう。

「フォークくーん、早くこないと時間ないよー」

 また知らぬ声が聞こえてきた。

「フォアさん、すぐ行きます! それじゃあ、クライスさん、くんのほうがいいですか?」

「タメ口で、いいです」

 だめだ。

 フォークさんを見ていると、胸の奥がちりちりと熱を持つ。

 まるで、愛しい人を守りたいという気持ちのようだ。

「じゃあ、お言葉に甘えて。ぼくのことも、呼び捨てでいいよ! それに、ご飯食べちゃって! ぼく学校あるから!」

 ぱたぱたと走り去る姿を見届ける。

 国を、守るのが軍人だ。

 しかしそれは、武力とは無縁に生きる、彼女のような弱い者でなければならないのではないか?

 彼女のような、銃も持ったことのない人の武器になる。

 それが軍人の役割なのではないか?

「おれは、間違っていたのかな」

「勘違いさ。国っていっても、在り方は無限だ」

 茶髪の大男は、視線をフォークさんに向けながら微笑んだ。

「あんた、いかなくていいのか?」

「ツキの護衛だ。クライス、キルストゥというだけで差別するな。今後はな」

「言われなくてももうしないさ」

 フォークさんに、嫌われたくないし。

 今回のおれの起こしたことも、よくわかってないようだったし。

「フォークはああは言ったが、すぐに軍に戻れよ。一食くらい抜いても暗部の人間なら問題ないだろう」

 その言葉に、おれはベッドから立ち上がる。

「ああ、自己紹介が遅れたな。俺はシーザライズ。たまに暗部の粛清やら汚れ仕事を請け負う、傭兵だよ。今はここで基本、軍からの依頼のある仕事をしてる」

「だから、暗部とわかったのか?」

「んー、ふつうの軍人なら、そもそもツキを呼び出さない」

 そして、彼の目が細くなる。

「さっさと帰ってきて助かったがな」

 その意味はわからない。

 でも、その身体の引き締まり具合と発する気配は、血の匂いを感じさせるに十分だった。

 上には上がいる。

 おれが敵う相手ではないことが、わかった。

 いつか、超えるべき障害になるかもしれないと思う。

「先輩に、似てますね」

「ネームレスか? 一度仕事したことあるが、あいつ、守るためなら平気で人を殺せるぞ?」

 そして、殺してきている、と。

「お前はまだ人殺しには手を出してない。というか命じられてないだろ」

「それがなんだよ」

「人殺しは、ろくなもんじゃないってことさ。さ、さっさと軍にでも戻って絞られてこい」

 俺はあとからついていくから、とシーザライズは告げると、おれは一軒家のふつうの階段を降りていった。

 

 

 

 一階に降りると、食欲をそそる料理が並んでいた。

 急いで食べているとツキの姿はなかった。

「お兄ちゃんなら先に行きました。怒られるって言って」

 不安げにフォークさんが、眉を下げる。

「おれは大丈夫だ。……失敗して、よかったよ」

 口の中で言葉を紡ぎながら、ご飯や魚を飲み込んだ。

「ごちそうさま、ありがとう、フォーク」

「てへへ。頑張ってね」

 ぐっと両手を握りしめると、にっこりと輝く笑みを浮かべた。

「クライスさん、また来てくださいねー!」

 学校までまだ時間があるということで、フォークさんは手を振っておれを見送ってくれた。

 前髪を上げたカチューシャ姿に、心が揺れる。

 こんなこと、初めてだった。

 なんだか、声を聞いただけで心が躍る。

「おれ、どうなったんだ?」

 守りたい。という気持ちが、色をつけたように華やかになる。

 そして既視感のある道の中、不意に武器を触れて、おれはふう、と息を吐いた。

「……ん、槍ちゃんとある」

 倒れたとか聞いたから、取りに行かないとと思っていたから、安堵した。

「しかし、確実に叱られる、だろうな」

「おう、クライスか」

 商店街から抜ける中央司令部への道に、ブラウンの髪の、先輩が立っていた。

 おれを待ち構えていたのだろう。

 腹八分で食べてきてよかった。

「怪我はないか。あの傭兵、手加減が上手いな」

 ネームレス。

 名無しという意味をもつこの先輩は、暗部でおれより前からいる人だ。

「目、良くなったな」

 何のことか言われて、わからずにおれは首を傾げた。

「昨日の偽の許可証。バレてるから、始末書出せってさ。裏のほうで」

「ああ……ところで、ツキのほうは?」

「先輩から訳あって呼び出された……ってところでお咎めなし、そういう方針にしたそうだ。無事だったしな」

「無事?」

 殺す気は最初はなかった。だが、先輩の言葉には別の意味をはらんでいるように聞こえた。

「あの廃教会の近くで、最近暗部の人間で噂を確認してるんだ」

 先輩が耳元で囁く声に、危機感が宿る。

「表でも対処は難しい案件だ。なにせ、向かわせた軍人が消えている」

「そうなんですか?」

「お前も暗部が長いだろ? 最初はただの悲鳴が聞こえるってだけだったんだが……裏で、軍人も一般人も、消えた」

 それが意味することを知り、おれは寒気がした。

「なんらかの異常が起きてる。まあ、捨て駒にはされないようにな」

 言うが早いか、先輩は背を向けて歩き出す。

「そういや、キルストゥは『神』を祓う力があるらしいな」

 唐突に。

「そういう案件の可能性が高い。表じゃ鼻で笑われることだがな」

「どうして……そう、思うんですか?」

「始末書書き終えたら、教えてやるさ」

 ネームレス先輩は言葉を残して、おれから離れて立ち去る。

 おれはその背をただ、見てることしかできなかった。

「キルストゥ……裏が、あるのか?」

 それとも、表をおれが見ていないだけなのか。

 そんな疑惑を抱えて、おれは空を見上げた。

 国のため。

 利用されないためには、利用する。

 ――おれは、フォークさんの顔を自然と思いだしていた。

 守りたいものが、増えた気がして。

 空を見る。

 天が、果てなく見えた。


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公開日2025年9月1日

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