「らー、らーららー」
少女が、夜空の下、歌詞のない歌を口ずさんでいる。
エルニーニャ大陸、中央にある都のレジーナ、その奥にある治安の悪い中にひっそりとある、廃教会にその歌が清らかに響く。
神に見捨てられた場所で、瞳を輝かせて、宇宙が広がる空を見上げていた。
彼女は闇の中でも浮かぶ、黒いシスター服をまとっていた。
狭い敷地の入口に立って、彼女の透き通る歌声は風に乗って周囲の家々に広がる。
なにもなければ、聴衆がいてもおかしくないと思えるほどの歌声だった。
「ここで何をしている!」
不意に、黒い学生服の少年が来た。
二人だった。
闇夜に浮かぶ軍の正装のみを見せ、手にはなにも持っていない。
だが、腰から拳銃を持っていた。
彼女は横目で、街灯が照らす二人の男の胸につけたバッチに目を向ける。
石造りの廃れた教会の前、考えるために歌を止めた黒服のシスターは、左手を黒髪の年若き軍人へ向ける。
「らー、ららーらー、ららーらー」
言語を発することはついぞなかった。
また来た、と言わんばかりに目を輝かせて、向けた手のひらを握りしめる。
「――なっ!」
瞬間、銃口を向けようとした灰色がかった髪の軍人は、地面に倒された。
からからと、銃が遠くへ地面を転がり、何が起きたか理解できなかった。
と同時に、地面から持ち上がった首と手首が、木製の板に上下に挟まれる。
その大きさと、同僚が指差す先を、動かしにくい顔を青ざめて、見上げる。否、見上げてしまった。
「らーらー、らららららー」
大の男ですらよじ登るだろう高さのギロチンの頂上に、シスターは軽々と乗っかり、座り込んだ。
固まっていたもう一人の軍人は、震える手で、声音で、同僚の名を叫んだ。
「トバチ!」
エルニーニャ中央軍司令部、暗部の若き軍人は、そのギロチンの拘束具へと拳銃を向けた。
「最近の軍人失踪事件は、お前らのせいか!」
シスターは幼子のように無垢な目のまま、小首を傾げた。
それは、小鳥と会話するような、理解できないと言わんばかりだった。
彼女は、口から漏れる讃美歌のような歌にあわせて、右手を瞬く星のある天へと軽々と向ける。
「トバチ、今助けるからなぁっ!」
爆竹のように全弾発砲された拳銃は、トバチという軍人を救える。
なんのトリックかは知らないが、幻に決まっていて。
それに木でできているのだ、拳銃の弾丸でも撃ち抜ける。
確信していたからこそ、その希望は裏返った。
トバチを拘束する木製の――首刈りの拷問具は、浅い火傷を負っただけだった。
身動きができないトバチと呼ばれた軍人は、真っ青な顔のまま、固まっていた。
まるで、夢のようだと現実逃避するほど、わけがわからない事態だった。
「らららっ、らららっ」
まるで痴呆のような少女だが、誰がみてもそれは――大昔に使用されていた、ギロチンを出現させ、自在に操っていた。
「いやだ、いやだいやだ嫌だ、死にたくない死にたくない」
夜空をかき消す街灯すら届かない、廃教会だ。
そこにいるシスターは、納得したように、目を瞬かせた。
「一人は、嫌?」
人を殺す道具だと知らぬような無垢な目で放たれた言葉に、彼らは言葉を失った。
「だいじょうぶ、一人、じゃないよ」
嬉しいプレゼントをもらったような笑顔を見せて、少女の目は拳銃をうち尽くした軍人に微笑みかける。
「この国には、軍人さんは、いっぱいいるから、ね?」
狂ってる、とトバチは動けずに肝を冷やした。
これからの運命が、決められている現実が、逃げ出せない事実に、彼は叫びたくなった。
だがそれが形になる前に、別の人影がすっと現れた。
「ひっ」
息をのむ以外、トバチには許されてなかった。
「天国、で、また、会えるよ」
心の底からそう願っているシスターの言葉が呼び水となったのか。
「あらぁ、楽しそうだから私もぜひ混ぜてほしいわぁ」
トバチの同僚は、気配なく忍び寄っていた黒服の銀髪のシスターと目を合わせ――叫んだ。
「な、や、やめろぉっ!」
その瞳は血を吸ったように、真っ赤だった。
まるで、伝承にある吸血鬼のようだった。
「鋼鉄の処女に抱かれて逝けるなんて、幸せね?」
言われて振り返った彼は、悲鳴にならない、まるで夢の中にいるような非現実に、言葉を失った。
振り返った彼の背後にあるのは、有名な拷問――否、血を吸い出すために作られたと後世に語られる、鋼鉄の処女と呼ばれるものがあった。
なぜか中は薄っすらと発光しており、全身を刺しつくす針がびっちりと生えていた。
そんな生かさず、殺さずの拷問器具が、なぜ突然現れたのか。
二人の軍の暗部の人間にはわからない。
まさに、荒唐無稽な、説明のしようがない悪夢のようなものだった。
「ああ、軍人さんよぉ。運がなかったなぁ」
野太い声に二人は身を震わせた。
同僚が見た姿は、刈り上げた金髪に、黒い法衣に身をまとった大男が、邪悪な笑みを浮かべていた。
ぞわりと、背筋が凍る。
「あいつが面白いことをするっていうから、わざわざ南の村から来てやったんだぜ?」
その黒い法衣は、匂いはせずとも、血をべっとりと吸い込んでいた。
夜闇に似合う鷹のような黒い目は、口の端を吊り上げた。
「一般人はなるべく殺さねぇように気をつけてるんでな。他国の軍人みたいだろう?」
「嘘だっ!」
「見られたら、殺すしかないじゃない?」
銀髪のシスターが、ねえ、と横に立った法衣の男に同意を求め、頷かれた。
逃げ場を失った軍人たちは、もう獲物としか見られていなかった。
否、廃教会から去る道はシスターと男がおり、逃げ道を封じていた。
「血に飢えていんだよ、俺らはさ。だから――血をくれよ? 運が良ければ、死なないと思うぜ?」
「らーららー」
「うふふ、若い子の血で、若さを保てるの。協力して欲しいわ」
その人並み外れた狂気の果て。
トバチは失禁だけはしまいと、そして天を見ず、歌う少女だけを見る。
「みんな、すぐ逝くから。ここの人たち、みんな、みーんな、一緒。ずっと、ずーっと一緒だよ」
にこっと、ひまわりのような笑みと共に、少女は右手を振り下ろす。
「そう。いくら軍人が頑張ったところで、もう手遅れなのよ」
銀髪のシスターも、こつんこつんと足音を立てて、恐怖に歪んだ顔を慈しむように、針の山に動けない軍人の胸板を押した。
「お前らは派手だよなあ」
悲鳴を上げる暇もなく、トバチの首と手首が吹き飛んだ。
真下まで落ちたギロチンの刃が、彼の肉体から迸る濁流を濡らす。
「と、トバチぃいいいいいぃぎゃぁあああああぁああぁあっ!」
大地を割らんとするほどの絶叫が、面白いと銀髪の女は笑う。
鋼鉄の処女は、赤い水を地面にへとたらしながら、銀髪のシスターへと吸い込まれていく。
「最近、この辺りで行方不明事件が多発してるのよねぇ」
銀髪のシスターは、体の中にどういう理屈かはわからないが、流れ込んでくる血の感触に酔いながら、嗤う。
「らー、ららららー」
ぼとん、とトバチの首と手首、そして胴体が床に叩きつけられる。
ギロチン台はすでに消え去り、首と胴が離れた遺体だけが残った。
「らーらららーらー」
光が一切ない闇夜のごとき深い闇が、現れる。
闇としか言えない影は、軍人の死体や体液へ自由に広がり、彼らの存在を飲み込んだ。
そして、シールのようにそれが剥がれて溶けていく。
地面に撒き散らされた血も、首も胴も、闇夜のような影すらも、全て幻のように消え去った。
残されたのは、シスター二人と法衣の男のみ。
「あんまり、毎日は遊ぶなよ?」
「わかってるわよ神父様?」
沈黙した鋼鉄の処女を手首を払うように動かして、銀髪のシスターが嘲笑うように答える。
「首斬りのシスターに、血吸いのシスター、そして、武の神父。軍人程度に負けるわけないでしょう?」
なにも起こらなかった、そうとしか見えない廃教会で、すらりとした銀髪のシスターは首を回す。
「今はいないけど、発火のシスターはどこに行ったの?」
「さあなぁ。あいつは自由人だが、見た目も精神も一般人だ。正規の教会に受け入れられてるはずだ」
なあ、と同意を求められて二人のシスターは首を捻る。
「それもそうねぇ。しかし、ここの軍人は若い子が多いから、私、若者の血で本当に若返っちゃうかも」
「寝言は寝て言え、馬鹿」
法衣をまとった大男は、金髪をわしゃわしゃとかいて、シスター二人を見下ろした。
「そろそろ、おねんねの時間。わたし、寝るね」
まるで人を殺したとは思えない呑気さで、ギロチンのシスターが廃教会へと戻っていく。
銀髪のシスターはぐるりと辺りを見渡して、見物人がいないことを確かめてから、廃教会へと戻る。
そう、人なんて殺してない。
ただのおもちゃ遊びだった、と言わんばかりに。
咎める声も、助かることないまま、二人の軍人の命は、散った。
行方不明と、軍の内部でトバチとその同僚は処理されるのだった。
「それじゃあ、おれは店にいますから。終わったら呼んでよ? シーザライズ」
エルニーニャ王国中央司令部。その軍に近いのに、古びた商店街の刃物を扱うお店。
家の居間が勝手に密談の部屋にされた青年は一人の居候のような、そうでないような男に釘を刺して居間に背を向けた。
絨毯に机と椅子があるだけの、居間に茶髪を乱雑に伸ばしたシーザライズと呼ばれた青年は、目の前の男を見て肩をすくめた。
「暗部の頭領が、俺のような傭兵になんの用だ? ……なんてな。あれだろ?」
黒いフードで顔を隠した優男は、それより、とシーザライズの後ろに立つ、薄青のフードにローブという、ファンタジー世界の魔法使いみたいな青年らしき人を見た。
「こいつは保護者というか相棒だ。信用できる男だよ。それに、他言無用なのは、見ればわかるだろう?」
フォークは学校、ツキはまだ軍の研修中でフォークたちの家にはいない。
なので、シーザライズたちは家主のいない家にいてもなにもすることがないので、仕事を探していた。
傭兵のシーザライズは仕事探しと、北区にある廃教会の噂に感じる危機感を伝えるため、あえてフォアを連れてきていた。
「それは失礼。まるでいることが不思議な雰囲気があったので」
詫びているようで、けなしている。
「それより、話の内容を」
フォアは、相棒が切れる前に、フードのまま軍師のように冷めた声で相手に告げた。
まるでフォークの軍人嫌いが移ったかのようだ、とシーザライズは内心で舌打ちした。
「どうせ、廃教会の取り壊しに行ったという名目の暗部の人間が全員、消えたせいだろ」
クライスとの初戦を思い出し、シーザライズは黒いフードで身分を隠している暗部の頭領に、確認をとる。
「理解が早い。手間が省けて助かります」
「北区の奥で噂になってるからな。夜中に悲鳴が聞こえるって。でも昼間はなんでもないと」
「ええ。そこを是非調べてもらいたいのです、シーザライズ。キルストゥと共にいた人殺しに」
「必要な情報だけ教えて」
と、ローブ姿のフォアが、目を細めて言葉を紡いだ。
それは、怒気を含み、軍人は口元に笑みを浮かべた。
「君は、一般市民なのだろう? 戦う力がないものに、口を出されたくはない」
「こいつは、それ以上の力を持ってる。だから、あまりにも貶すならこちらも今回の依頼、蹴っていいんだぜ?」
シーザライズが青筋を立てながら、彼を睨む。
「暗部の頭がわざわざ異国の違法な傭兵に、仕事として足を運んできたんだ、相当軍人への被害がでかいんだろ?」
シーザライズも元軍人だ。規模は違えど、分かることも多い。
そして、と相手は二本、指を立てた。
「ええ。昨日で二人死にました。時間通りに招集にこなかった、ということで行方不明者と表向きの理由にしてあります」
「で、何人目だ?」
フォアは立ったまま口をつぐみ、シーザライズが仕事として必要事項を確認していく。
「これで軍人は五人。ネームレスやベルドルード、ショートケーキなど、ベテランはまだ使い道があるため、除外しているが、新人に確認のためというだけで、夜に行かせてこれだけ被害が出ている」
それは、手段を読み間違えた、といえる失敗だ、と暗部の頭領は唇を噛んだ。
「で、捨て駒で傭兵使うってか。面白い」
「相手は人間とは思っていない。人外と戦うのは、君のほうが似合っているだろう?」
沈黙が、場を支配する。
「魔、いや『神』をキルストゥのいる島の者なら殺せるのだろう?」
「どうして、裏社会や人間ではなくて、『神』が関係していると?」
シーザライズが目を細めて、黒いフードから見える口に、視線を送る。
「暗部の調べでは、あそこには地下はあるが、それが最近になって使われ始めている。廃教会に出入りしているシスターと神父を目撃している住人もいる。裏社会やはぐれ者は、あんな目立つことはしない」
一気に告げると、暗部の頭領はは小さく息を吐いた。
「それで、俺に調べろと?」
シーザライズは気乗りしない様子で、後ろを向いてフォアに助けを求める。
「その教会、何人いるんです?」
「一応神父が一人、シスターが三人だ」
フォアはシーザライズと視線を合わせる。
「確認だが、まさかキルストゥ姓の軍人ばかりいかせてるわけじゃねえよな?」
「それはない。新人や諜報を得意とする、二人や一人だ」
あくまで確認に行ったら返り討ちにあった、という話なのだろう。
シーザライズは、平和ボケしてるなと内心ため息をついた。
「最近、シスターのうち一人は見ないと言っていたが……町中でよく見るようになったという話がある」
不思議そうに付け加えられた言葉に、フォアは顔を歪めるものの、フードで目を隠す。
「まあ、魔だろうが人間の手だったとしても、人がいなくなるってんなら放っておくわけにはいかないもんな」
「でも、もしそれが裏社会側のただの人ではなく、魔なら、シーザライズとぼくだけでは厳しいよ」
はぁ、そうだな、とシーザライズは脳内で戦闘をシミュレートする。
死ぬ気はないが、殺されるのは一瞬だろうな、ということだけは理解した。
「協力者がいるな。下手なやつじゃなくて。軍人でもなく、そう、傭兵みたいな――」
「なら、私もお手伝いいたしましょう」
「わー、包丁研ぐのうまーい」
「だろう? フォークくんもコツを掴めば、家で市販の包丁研ぎでできるようになるよ」
「でも、教会行きたいから……古いけれど、新しいシスターさんが来てるんだって」
遠くから聞こえる声に、シーザライズとフォアは顔を見合わせ、頭を抱えた。
青年が通した相手が、護衛と護衛対象だったからだ。
「彼は――確か、商店街にある学校の用務員だったと聞いているが――」
「私はリタルです。今日はフォークくんの護衛をしていたのですが、寄り道したら面白いお話をされていたので、首を突っ込ませていただきました」
黒髪に目を閉じているようにしか見えない黒目、そして上から下まですらりとした黒一色の格好に、腕に何本かの輪っかを落ちないように身に着けていた。
「ふむ。人を殺したことはあるかい?」
「事故死なら何度か」
納得したように、暗部の頭領は微笑んだ。
「なら、巻き込んだとしても文句はあるまいよ」
ははっと豪快に彼は膝を打つと、リタルへ視線を向ける。
「シーザライズさんは無から有を生み出す異能力者でしたね。その力とフォアさんの知識なら、『神』を無効化できる」
「じゃあ、君はなにをするんだ? 暗殺者。東の諸国では恐れられたと風の噂で聞いていた、生きた伝説の人殺し」
その見下す言葉をものともせず、リタルはにこっと微笑みを浮かべた。
「今は学校の用務員をしてますよ。あと農協にも務めています。務めていますが」
シーザライズが呆れ顔になるのも構わず、リタルは場に答えを示す。
「私はクルアを巻き込んで、フォアさんにもちょっと力を貸していただきたい。簡単なことですが、それがお二人を助ける力になると思います」
戦闘や荒事については、シーザライズ並みに叩き込まれている人間の登場に、三者三様の思いを浴びる。
フォークは店の方に遊びに行っているので、四人の話し合いとなっていた。
「内容によるけど」
「例えば、銃弾に『神』の力を封じるものを込めていただけますか? 射撃は久しぶりですから」
黒ずくめのリタルの言葉は単純で、難しいことだった。
軍の暗部の頭領はふむ、と手を組み、シーザライズへ視線を動かす。
「倒せるか?」
「相手の力がわからない場合、暗殺者は卑怯な手段で手の内を明かさせる。そう教えられました」
にこにこな笑みの裏に、血に飢えた獣のような獰猛さを隠している。
今のリタルは、護衛ではなく、殺し屋としてここに立っていた。
故に。
「まずは相手の力を知ることが先決でしょう。拳銃だけは落ちていたのでしょう?」
「は? そうなのか?」
知らなかった茶髪の傭兵に、リアルは顎を引き、黒い暗部の頭領を見た。
「漏らしてない情報なのだが」
軍の暗部の彼の問いに、リタルは無言で微笑んだ。
それを見て、シーザライズは彼が言うならと勝利への確信を持った。
利用されるのは癪に障るが、それ以外の道がないなら仕方がないことだと割り切って。
「報酬は、わかってるだろうな?」
シーザライズは、暗部の頭領へ手のひらを見せた。
「キルアウェート兄弟の護衛と、金額は――」
「いつもの倍で手を打とう。それでいいよな、フォア、リタル」
「ぼくはいいよ」
「私はお金より」
農業バカの話を遮るように、シーザライズはこれでいい、と告げる。
「わかりました。そこは経費で落としましょう。くれぐれも、被害者にならぬよう、お祈りします」
くすり、と口の動きで笑みを浮かべ後ろ暗いことを平然とやり遂げる軍人は立ち上がる。
それも、表向きはこんなところを平気で歩き回るような身分でない。
裏側――それも、同じ軍人の粛清など、同胞殺しすらいとわない暗部の人間、その頭領だ。
重苦しくも濁ったような空気を割くように、彼は慣れた足取りで刃物屋の裏口から出ていく。
ばたん、と乱暴にドアが閉められて、ふぅ、とシーザライズが肺に残った後ろめたい気分を全部込めて吐き出した。
「あの軍人こそ、粛清したほうが世のためになるぞきっと」
「シーザライズさん、悪く言うのはやめたほうがいいですよ」
「ぼくもそう思う」
仲間にまで言われて、傭兵は小さく去っていった軍人を呪った。
「さて、情報収集がてら、その廃教会に行ってくるか」
「昼間に悲鳴が聞こえた、っていう話は聞いたことないもんね」
「すみません。お二人が行かれるその前に、お願いがあります」
リタルはどこからか射撃銃を取り出していた。
「シーザライズさん、フォアさん。魔――『神』を傷つけられる弾丸は作れますかね?」
店先では、まだ若主人がフォークと刃物の扱い方の説明をしていた。
「さてフォア。下見に行くか。暗部がでしゃばってきたんだ、外れの可能性はないと思ってるが」
「うん。実際、近くに住む人が悲鳴らしきものを聞いてるし、根拠なく軍部の裏の偉い人がわざわざ一傭兵を訪ねてくるなんてないからね」
彼がいけばいいのに、とシーザライズは思うが、立場が上になればなるほど、人間とはなかなか自由に動けなくなるものだ。
「ま、報酬倍ならいいな」
もこもこの雲が広がる空を見上げながら、二人は北の廃教会へ向けて歩いていた。
リタルが借りた猫のごとくフォークを拾い上げて家に去っていくのを見届けてから、シーザライズとフォアも商店街を抜けて、歩く。
シーザライズはクライスと戦った道だから、と新鮮味はないのはわかっていたが噂くらいは耳にするほど、大事にもなりそうなのは目に見えていた。
だからこそ、先に噂の元凶を潰す。
そのために、軍人も暗部のほうを使って噂を確かめたのだろう。
この軍国家にとって、軍人は国を象徴するものだ。
力の証とも言える。
それが謎の力で負けました、なんてなれば国としてのプライドが許さないだろう。
故に、シーザライズみたいな本来なら弾かれる傭兵が使われるのだ。
「なにかあった時のために、ぼくは彼らには会わないほうがいいだろうからこの辺りふらふらしてるね」
「そうだな。もしもの時は、助けてくれ」
「一般人には無理です。ところで、廃教会、どんなところだろうね」
「あー、ふつうに寂れてたかな」
シーザライズは目を細めて、小さく息をついた。
「これなら裏社会とかで有名なキメラのほうが楽なんだがなぁ。相手は『神』、キルストゥを抹殺しようとする連中だしな」
シーザライズは苦い顔をして、フォアを見る。
と、その手にある射撃銃と数個の弾丸に目を丸くした。
「あ、そういえば遠距離射撃用のライフルの弾丸、リタルさんから預かってた。弾はあるけれど、シーザライズ、聖水くれる?」
「いや、祝詞も込めないとたぶん、効かないと思うんだが」
シーザライズの言葉に、フォアはそっかーと思いながら、シーザライズに弾を渡す。
「どう? って分解するの?」
「構造さえわかれば、聖水はいれられる。そして、こうしてっと」
物質化させた弾丸は、元のものと同じ形をしていた。
「撃てる?」
フォアの心配をよそに、そっけなくシーザライズは笑った。
「誰だと思ってる? 元軍人でもあったんだ、やればできるさ」
残りは祝詞だ、とフォアは弾丸を受け取り慌てる。
「えっと、それはキルストゥの祓いの一族じゃないと無理なんじゃ」
「フォアがキルストゥになればいいんじゃね?」
「そんな、男から簡単に女になれって言ってるのと同じじゃないか! 他の世界ならともかく、ここでそんなずるは難しいでーす」
むっと拗ねるフォアを見て、でも、できるんだろ? とシーザライズの真摯な目が問う。
あまりにも真っ直ぐな目に、フォアは頷いた。
「最低でも、五人もの命が奪われてるんだもんね……うん、やってみる。効果は期待しないでね」
静かに告げる彼に必要分と少し多めに聖水を含ませた銃弾を渡し、シーザライズは廃教会のある北の奥へと歩みを進めた。
人が住むには平凡な住宅で埋まっている中、廃教会は真っ直ぐのところで、朽ちていた。
「さてと――行ってみるか」
手入れされているが廃墟の空白さをまとったその中へ、シーザライズはゆっくりと歩を進める。
「あ、らーららー」
不意に、廃教会の裏からだろう。黒いシスター服の女性が出てきた。
軽く目を見開いて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「なに、かー、御用、です?」
どこか間の抜けた声に拍子抜けしながらも、シーザライズは心の中で喝を入れた。
油断すれば、殺されても文句は言えない。
そういう相手なのだ、と心に秘めて。
「ここのシスターか?」
「はいー。といっても、まだ、見習い、ですー」
妙に間延びした声と姿が一致して、一瞬敵の可能性を忘れてしまう。
どこを見てるかも分からない瞳は、不意にシーザライズから外された。
「おや、こんな寂れたところに客かい?」
同じく、裏から出てきたのは銀髪が似合う、気の強そうなシスターだった。
嗜虐的な、好戦的な意思を目に宿していて、真逆のシスターだな、と思った。
「あー、人を探してて。この裏にでもいるかなぁと」
適当な嘘を言って、裏側に行けないか試してみる。
「神父様くらいしかいないけどねぇ。会っていくかい?」
「いいんですか?」
「ぼろいけど、神様に祈りを捧げる場所だ。害がなきゃ、万人問わず、だよ」
なんというか、乱暴な仕草で親指を向ける銀髪の彼女についていく。
もう一人のシスターは興味を無くしたように、いつの間にか手にしていたほうきとちりとりで教会前をはいていた。
そして、教会をぐるっと回り、数分も経たないうちに、開けた裏庭に出た。
簡単な木の竿に、洗濯物が干してあるだけの庭が広くあった。
「ほっ、は、ほっ、は」
そこには、屈強な法衣を着た男が、腹筋を鍛えている最中で。
見るべきものではなかったと、シーザライズは顔をしかめた。
「あれが神父様、筋トレ趣味なのよ」
「はぁ」
どうでもいい知識が増えたと頭を抱えた。
「あの、噂で聞いたんですが……」
俺は、あの軍人から聞いた話を思い出す。
敵の本拠地で人目もなく、場所は悪いが、襲われても逃げに徹すれば問題ないだろう。
シーザライズは咄嗟に判断を下し、言葉を紡ぐ。
「夜な夜なここから悲鳴が聞こえるって噂、ご存知ですか?」
「ほお?」
「何か、混じったんじゃない。まあ、死者の声が聞こえる輩か、狂人の戯言でしょそれ」
知らぬ存ぜぬの対応だった。
そのことに傭兵は内心安堵した。
ここで戦闘する意思がない、ということだ。
「そういえば、知人から聞いたのですが、シスターは三人と聞きましたが……」
「ああ。彼女は商店街のほうの教会を任されている。ここにはいないよ」
――やばいなぁ。
脳裏に、作戦の穴を見つける。
確か、フォークはよく教会に行くとか聞いた気がする。ツキから。
変に交友関係が広い護衛対象――そして、好きな人似の少年に、シーザライズは彼らから距離をとる。
「わかりました。お邪魔してすみません」
「いえいえ、門戸は誰にでも開かれてこそ、ですから」
神父が立ち上がり、豪快に笑う。
その姿がとても似合っているから。
死合わなければならないということ。
それが、口惜しい。
クレイン・ベルドルードは軍人だ。
主に裏方の事務員がもっぱらの噂になっているが、元軍人暗部のトップであった彼女の父の血を、しっかり引き継いでいる。
ホワイトハッカーとして、主に軍の機密事項などの漏出がないか、などなどパソコンに指を走らせる。
その合間に、兄、クライスは暗部へ志願し、実力で入った。
国のため、二言目にはそう言っていた兄は、広報課で地道に身分を隠している。
父と同じくなりたかったのか、暗部に足を突っ込んだ、馬鹿兄だ。
国のために、といいながら、彼の本当の心をずっと一緒に住んでたクレインは、知っていた。
だから、頬が膨れるのも必然だろう。
「そんな兄が、恋? 嘘。気が狂ったとしか思えない」
はぁ、と息を吐きながら、事前に調べた兄を変えた人の学校前にいた。
夜にゆう待ち伏せだ。
兄が恋したという、少女を知るためだ。
商店街の近くの学校は、閑散としている。
何かしらの事情で、軍学校へ行かない人のために、軍とかが建てたという話だ。
「出てこない……」
そうよね、と胸の内で時計に視線を落としては、学校前に二時間もいた。
帰ろう、と思った。さすがに体力も尽きてくる。
「フォーク、じゃあなー」
「ばいばーい」
その名にクレインは反応した。
その名。
フォーク・キルアウェート。
ある事件をきっかけに、姓を変えた家族だ。と、資料に載っていた。
当然、勝手に見たのだが。
いざ見ると、アホ毛二本を揺らした茶髪の少年は、同級生に手を振り、穏やかに笑っていた。
「あの、あなた!」
頭は真っ白、ただなぜか焦燥感がクレインをうごかしていた。
がっと手を握り、フォークと呼ばれた少年を止める。否、とらえる。
「え、え、え?」
「私はクライスの妹よ」
フォークはほわほわと、クライスの明るい笑顔を思い出す。
ツンとした印象の妹に、目をぱちぱちさせた。
「おお、似てるといえば雰囲気が似てるけど、どうしたの?」
身構えるフォークを睨みながら、妹はこう告げた。
「あなた、クライスに何したの?」
浮ついているあの馬鹿は本物の馬鹿になったように、仕事と恋した相手に骨抜きにされて、当てに出来ない。
「え? あーもしかして、無断外泊した件かな? ぼくもそれは悪いと思ったけど……」
クレインの嫉妬に似た苛立ちに当たって、気まずそうにフォークは答える。
「えっと、ぼく、男なんだよね」
「見ればわかるわ。でもクライスは男と思ってない」
「うーん、仲良しなんだね、クレインちゃん」
不意に名を呼ばれ、彼女は大げさに後ずさる。
フォークはそれもおかしいと言わんばかりに、くすくすと笑った。
「な、何よ」
「名前で家族を呼ぶなんて、仲がいいんだね」
ぼくなんかはやっぱりお兄ちゃんって呼ぶよ、とフォークは親愛を込めて言う。
「かん、ちがいしてるの、あの馬鹿」
「えっと、実の兄をあんまり馬鹿とか言っちゃだめだと思うよ?」
「考えとく」
言いながら、クレインはフォークの腕を握る。
フォークは瞬きするも、兄を取られた妹という図式が脳内で浮かんだ。
殺意も多分ないなと思ったので、今日は護衛がいないから真っ直ぐ家に帰れと言われたことを思い出す。
が、ぐいぐいくるクレインに静かに従うほうが彼女とクライスを知る機会だと悟る。
「付き合って。家知らないし」
「うん」
と頷きつつ、この子年下だよなぁと思いながら、フォークは不意に、商店街にある古びた教会を目に入れる。
「この教会、よく通ったなー」
日も暮れてきた中、フォークは懐かしそうに目を細めた。
「学校の通り道にあるんだ。最近シスターさん変わったんだって」
「そんなことは、どうでもいいわ」
「そうです。フォークさん」
軍人の勘が働いたクレインは、よく通る声に危機感を覚えた。
人が近くにいる気配がなかった。
事務仕事がメインとはいえ、すぐ近くにいるのに気付かないはずがない。
黒が基調のシスター服を身にまとい、微笑む姿は聖女と言って差し支えない。
すらりとした金髪だが、目は赤く、まるで悪魔が乗り移っているようだった。
一般人でないのは、明らかだった。
その目はフォークを射抜いている。
が、フォークは震えるより、驚きを隠せないで固まっていた。
その意味もわからないまま、シスターは呪いを紡ぐ。
「恨みはないの。でもね、身体が、魂が叫んでいるの。貴方を、殺せって」
手を開いて腕をフォークらへ突き出す。
「「逃げるよ!」」
クレインとフォークは、声を揃えた。
シスターが何をするかはわからないが、良くないことだとは二人、気付いていた。
だから二人は来た道を引き返し。
金髪のシスターは、教会から離れようと動こうとしたが、その耳に銃声が轟いた。
「おっと、その続き、俺が引き継ごうか」
ぱん、とクレインにとっては馴染みのある声が、届いた。
「まだ夕方だぜ、シスター」
金髪に、黒い学生服を身にまとった少年は、シスターを屋根の上から見つめる。
赤目をそちらに向け、憎しみのこもった視線を彼女は向けた。
「軍人が……助けてくれるどころか、殺人を犯した者のせいで、わたしはキルストゥに狙われた」
「あなたの恨みはぁ」
「別にどうでもいいのっ!」
場違いなほど、明るく商店街へ響く声に、金を橙色に染めていく光を浴びながら、シスターは二人を見つめた。
赤毛にライオンの紋章が入った拳銃を手に、きらきらとした場違いなスター衣装をまとった少女二人組だった。
「ショートケーキが、お祓いしてあげる!」
「ここに死者の居場所はないよ!」
パフォーマンスもこめた声だった。
「あら、知っていたのね」
そこに、ガラスを思わせる冷めた声音が割って入った。
桃色の着物に似合わない赤のケープをまとった、鞘に入った果物ナイフを手にした見たところ二十代の、女性だった。
「あら?」
「ん?」
「キルストゥが祓う魔であることを知っていたのは合格点ね」
ふくれっ面になるショートケーキたちを見、彼女は妖艶に笑みを浮かべる。
「ルナは殺されたとリルリアから聞いたけれど、あなたではないようね」
「キルストゥ? なぜ、生きてここにいる?」
前振りもなく現れた黒髪を一つに束ねた着物の彼女は、横目で怯えを隠さないシスターを見た。
「いつもは別のところにいるからね」
くすり、と彼女は笑みをこぼす。
「なんの話してるんだ?」
折りたたみ式の槍を伸ばしながら、金髪の少年、クライスは首を傾げた。
屋根から飛び降りると、シスターから目を逸らさずにまあと口を開いた。
「最近軍は暇なのかしら」
「喧嘩売ってるー?」
「確かに今魔を祓うことは無理だけどー?」
音もなく、漆黒の髪の女性はナイフを抜いた。
「なんにしろ、邪魔をするのでしたら、焼き払います」
腕を排除せねばならぬ敵、着物の女性へ向ける。
「あらあら、ラブコールありがとう。でも遅い」
足音すらなかった。
シスターの手のひらを貫通した果物ナイフが、シスターからあふれ出す血を、ぴちゃぴちゃと地面に落とす。
「全く。こんなところで貴重品使う羽目になるとはね」
誰もが、時が止まったようにその行為を見ているしかできなかった。
手慣れた様子で、その着物の女性はふところから取り出した聖水をシスターの顔へぶちまける。
まるで火傷させられたかのように、瞳を閉じていた。
「『ああ、膿ばかりの人生でした』」
「ぅう、あ、が」
痛みが、魔となったシスターを死体へと戻していく。
「『なんでもない日々は太陽に見捨てられ、神の見ないうちに自然ならざる火によって焼き払われた』」
着物の女性だけが、静かにこと紡ぐ。
「ぁ、う、思い出、したくな、いぃっ!」
「家が焼かれたのね。そして、いることを忘れられて殺されたと。可哀想ね」
「あな、たに。なにが分かるのですっ!」
遺体へ戻りゆく身体を抱きしめて、商店街にいる魔は、憎しみの色を瞳に込めた。
「『星は同調し、死後の夢は神の力を宿してシスターとして、星に感謝した。炎の力は自らの夢。死したからこそ、煙とともに消え去るもの。故に』」
シスターは、手を上げる。手のひらが裂けるのも構わずに、逃げようとした。
そこに、背中への衝撃が彼女を留ませる。
「人の話はぁ!」
「最後まで聞きましょうね!」
逃げようとした彼女の法衣に、銃弾の穴が開く。
ショートケーキたちのパフォーマンスに、集まってきた野次馬で賑わい出す。
「『夢から覚めて、苦しみを天へと還しましょう。天の呪いは今ここに放棄され、熱き死は冷たき終焉に愛されて消え去るのみ』」
印を切るように、果物ナイフは宙に血をまき散らす。
「ぁあ、う、いや、熱い、くる、しいっ」
シスターは頭を抱えて、ゆらゆらと陽炎のようにその姿を消していく。
「火事で亡くなったのは同情するけど、あなたは死後に人をそれで焼き殺してきた」
その罪には罰を払うべきだ、と、暗に着物の傭兵は言っていた。
「くっ、ぁあ、はぁっ、死に、しにたくないの、はぁ、でも」
「仮にもシスターなら、神にでも祈りなさいな」
冷めた視線で、彼女から目を離すことなく彼女は告げた。
「魔、は、時に神と、はぁ、呼ばれる、の、にね」
まるでぱちぱちと火が爆ぜるように、シスターの姿がぼろぼろと零れ落ち――。
「転生がもしあるなら、幸せな生を味わいなさいな。それを、心から祈るわ」
しゅっと果物ナイフを上から下へ振り下げて、彼女は手向けの言葉をのせるのだった。
消え去るシスターを静かに眺めて、彼女は果物ナイフを鞘に戻した。
軽く髪をいじり、フォークたちの方へと歩いていく。
「ちょおーっと待ってもらえます?」
「ショートケーキたちかぁ。上司から依頼されてやったのよ」
「嘘だろ」
クライスがアイドルらの横に立ち、静かに横目の彼女を睨む。
「助けたのに、仇で返すってこと?」
着物の女性は目を細める。
が、すぐぎゅっとクレインの手を振り払い、フォークに抱きつかれる。
「お母さんのお友達なの? お姉さん」
「ちみっこかったのが、もうこんなに大きくなるとはねぇ」
「ふぉ、フォークさんの知り合いですか!」
クライスが警戒をといて、一気にフォークの横へと並ぶ。
それを見ていたショートケーキの二人は、ため息とともに無線をとる。
「あー、それじゃ、教会の捜査やらしなきゃならないから……」
「くーらいす、そっちは任せたわ!」
野次馬たちに向かい、もう済んだわと軍の広報アイドルは笑みを浮かべて手を振る。
「言われなくとも。てか、クレインっ! なんでいるんだ!」
大声でのけぞる金髪の学生服の少年を見て、着物の彼女は微笑した。
「あらあら、同級生? それとも知り合い?」
「軍人です」
「あら、最近は甘ったれてるのねぇ」
くすりと笑みをこぼすと、女性はフォークの頭を撫でた。
「ルナも立派な主婦になったのねぇ」
「お母さんは、……」
「あ、ごめんなさいね。……でも、いつまでも引きずってちゃいけないわよ」
デコピンするように、着物の彼女は片目をつむった。
「誰だっていつかは死ぬんだから。さ、軍人さんも護衛してくれるみたいだし、家に帰りましょう」
「それ、おれの台詞……」
クライスの声など知らぬ存ぜぬというていで、着物の名を名乗らぬ傭兵は、迂回してフォークらと家に向かった。
「ルナが、結婚かぁ。今でも信じられなかったのよね」
着物の女性は、くすりと笑みを浮かべると、居間の席に着いた子供たちを見渡した。
「この数年は、エルニーニャにはあまりいなかったのよ」
「他国にいたんですか?」
「イリスのもっと端。紫という小島が主だったからなぁ」
優雅な手つきで紅茶を飲む姿は、洗練されていた。
果物ナイフはテーブルの中心にあり、敵意がないことを示していた。
「金さえもらえれば汚れ仕事でもなんでもやるのが、傭兵ってやつだからね?」
フォークのきらきら光る眼差しを今度はバッサリ切る。
心が読まれたーと泣き出しそうな彼を無視して、クレインは意を決して、言葉を紡いだ。
「フォークさんと馬鹿兄は、友達なのよね?」
「うんっ! と言ってもお兄ちゃんが連れてきたんだけどね」
朝会ったのが初めてだよね、というフォークの目に対して、クライスは男子学生服のフォークを見て、心が揺らいでいた。
「ま、ちょ、ちょっといろいろあって」
「いろいろって」
追求しようと手を机に叩きつけたクレインは、しかし、空中に手を止めた。
「まさか、じゃないと思うけど」
「キルストゥ狙いだったなら、生きていられたことは運が良かったわね」
さらりと怖いことを簡単に口にし、着物の女性は唇に指を添えた。
「暗部なら、機密事項にも目を通せる……軍の人間になるってことは、他人の秘密を墓まで持っていかなきゃならないからね」
ふふっと、彼女はクライスの目を見る。
「見失っちゃだめよ。ノイズの多い場所なのだから」
静かに、だが諭す言葉は歴戦の戦士より慈母のようで、フォークは目を瞬かせた。
「だから馬鹿なんです」
「どっちの味方だよ、クレイン!」
叫ぶクライスに、クレインは首を横に、沈黙という行動で返している。
仲いいなぁとフォークはクライスとクレインを眺めながら、眉を下げる。
ぼくとお兄ちゃんも、同じだったらいいな、と思う。
「ところで、妹たちを助けてくれて、ありがとうございます」
ふっと、クライスは背筋を正して、着物の女性に頭を下げる。
「通りすがり……というのもあったけれど、フォークくん見たから助けただけよ」
軍にだって、魔祓いの者や魔はいるでしょう? と、目を丸くする三人を見て、彼女は逆に目を見開いた。
「あら? 知らないの? まあ、フォークくんはあーんな小さかったから覚えてないのは」
「そっちでなくて! なんで軍の内情を言い当ててるんだ!」
叫ぶ兄に対し、目を閉じ情報を整理した金髪のクレインが、兄の脇腹を肘でついた。
「暗部の関係者ね」
「あったりー。というか、お金もらってるからね」
ここだけの話よ? と彼女は告げた。
「軍人が請け負えない仕事をお金で代わりに請け負う汚れ仕事……そんなとこ?」
「なんで首を傾げるんですか?」
金髪のクライスは、苛立ちを隠せずに彼女へ問いかける。
「たまに、というか通りすがりにこういうことに巻き込まれちゃうからねー」
面倒よー? と三人の子らの姿を順番に見て微笑む。
余裕が見られる黒い目は、それが楽しい、といいたげに声を弾ませた。
「治安悪化してるというよりは、変わってないってのが外の者としての意見ね」
「なんの、だ?」
「エルニーニャ王国の、外部と行き来してる個人の感想?」
「事件が多いのは否定しませんけれど……」
クライスとクレインの兄妹が顔を見合わせる。
「紫というイリス――南の小国の連なってる国の最南端にあるんだけどね、キルストゥの少女が王族殺しをして回ったの」
「昔の話です、よね」
「軍学校で聞いたことあるけど、それをきっかけにキルストゥ殺しで懸賞金かけたんだろ?」
「キルストゥという一族の国王の不在を使って、貴族たちが好き勝手に暴れてるとして。許せる?」
試すような言の葉に、三人の視線は俯く。
「キルストゥは魔を殺すもの。そして、紫の人間ならキルストゥは魔という存在を、死に損ないを死体へ戻す」
「それは、悪いことなの?」
会えるなら。
「フォーク。ふつうの人はね、魔になれない。特に、満足して逝った人間ならなおさら」
不意に、フォークの顔が陰る。
両親は、安らかな顔だった。
ぎゅっと心臓が握られたように痛み、しかし、そんな頭に温もりが乗せられた。
「しょげた顔しない。あいつは、幸せだったんだろうからね」
片目を閉じ、同意を求めるように着物の女性はクライスたちを見た。
「これが、一般人と軍人の差よ」
さらりと告げた現実に、二人の兄妹は俯く。
「そういえば、名乗ってなかったわね」
彼女はふと忘れ物を思い出したというふうに、フォークから手をどかした。
「ブロッサム。ブロッサム・キルストゥよ」
利き手でくるりと鞘に収まった果物ナイフを回して、着物の女性は微笑みを浮かべた。
第6話へ・第8話へ
公開日2025年12月30日
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